嗚呼!レストランの神の僕(シモベ)たち
by James

いつもお世話になっている栃ナビさんのアンケートに栃ナビのサービスに満足しているか?
その理由も書く・・とあったので(そのスペースはなぜか4行分くらい・・・)
大満足!を選んだ後に別の紙に書きました、えらい長くなり・・・あほですな〜私は・・・

A:私は飲食業ですから、その視点からお答えします。

現時点で御社はかのミシュランのレッドブックをしのぐ魅力を持っています、
@ミシュランでは専門家が入念な調査をするので反映に時間がかかる(価値ある物には尊敬と尊重の気持ちで接する
 フランスやヨーロッパの時間の感覚にはあっているでしょう)のに対して
 オンタイムでお客様の意見が聞けるのはとても良いです、残念ながら今の状況ではもし栃ナビさんがなかった時代に戻れば
 末端を担う=まだ意識高まっていないスタッフのヤル気を喚起するのには苦労します、記憶が鮮明に残っている時間内でないと
 どんな良いアドバイスやタイムリーなクレームでも、おほめの言葉でも時間が過ぎればリアリティがなく他の誰かの話しかしらん?
 とまるで説得力がありません、
 またそのご意見も匿名性があり素直な意見や感想を言えますし、のびのび表現していくうちに口コミするかたも
 洗練され、また他の口コミを目にして見習ったり影響を受けたり、また他人の意見の信憑性を見抜く目を持ったり
 発展性があります、人生一生勉強なのですがこの“勉強”と言う言葉がどうもいけないのか?楽しそうじゃありません、
 栃ナビさんとかかわるうちに、食の業界とそしてそこに参加する大勢の方と関わるうちにユーザーが成長するのですから
 こんな素晴しいシステムはあまりありません!
 ハンドルネームということでバーチャルな公共性・社会性もあり自分が社会に参加している・自分の存在を世の中に認めてもらいたい
 という人間の欲求をも満たしています。
 またミシュランでは専門家ゆえにそのチームの思想や哲学が読み手に影響を与え
(いかなる場合でも影響というものは何がしか受けるものですがミシュランの影響力は強く、良くも悪くも個人の主観を吹き飛ばします)
A素人(プロの批評家でなく現実のユーザーの意味)の方が自分のお金で自分の価値観を素直に表現しているので
 市場そのものの姿が浮き彫り!
 ユーザーのレベルや食文化の熟成度合いなど現時点での栃木の文化レベルがわかることはこれからの目標設定に役立ちます、
 現実に栃ナビさんとかかわるお店側&ユーザー側どちらのヤル気の素も生み出しているのが素晴らしいところです。
 飲食店側は徹底的な自己研鑽と同時にお客様も気付かない潜在的な欲望や願望を具現化し提供することができる、スバラシイ業種です、
 後追いで受けよう受けよう!とする商売はすでに間違いと気付く時期であり、市場から何をすれば受けるか?を読むためではなく
 これから何を提案すればお客様のシアワセの絶対量が増えるのか?を考える時期です、
 そのために栃ナビさんを有効利用してもらいたい のです、
 そしてお店側は口コミは自分のしている仕事への暫定的な評価ということであまり執着しないほうが良いのでは・・・
 通帳の貯まったお金を見るように口コミをみてニンマリしているようでは???です、
 自分たちの仕事がお客様に支持していただいているか?を見極め少し安心してさらに自分の信じる道を進むための勇気を充填したり、
 自分を客観的に見つめたり、初心に返り気合を入れなおしたりに使いたいです、
 しかも現状はシアワセへの過程であり流動的でありこれから形を変えながらもっと良い店になってゆくという意識を
 お店もお客様も共有できることが大切です、すべては共同作業です=だから社会という概念があるのですよね!
 未来への希望や夢を叶えて差し上げることのできる(難しいことですが・・)可能性に大きな誇りを持つべきですが、
 一部を除き食の業界人が過去にココロからそう思い信じられなかったのはなぜでしょう?
 報われない・・・と自分以外の何かのせいにするのでなくどうして勇気をもって夢の実現のため最大限の努力を続けなかったのでしょう?
 もう少しのところだったのに寸前であきらめたヒトが多かったのは何故なのか?タイムマシンで過去を振り返ったら
 後悔して、もう少しこうしておけば・・などと思うのではないでしょうか?
 他人とかかわりお互いの人生に影響を与え合う社会に参加し、当然のように生じるユーザーとしての権利と責任の存在さえ気づかない
 幼いユーザーと幼い飲食店は結局、お互いコミュニケーションがうまく取れずにいたのです、とても不幸な時代でした・・
 栃ナビさんがこれほど支持されたのもそのような潜在的な二ーズが存在したからです。
 目標や現時点で自分たちの位置がどこかわからないのでは人間迷うばかりで時を無駄に過ごし、
 その結果が悪ければ意欲が無くなる生き物です、企業なので利益が出なければやめるしかありません。
 努力や情熱を使うべき時に使うべき所に使わないと結果は出ないものです、まさに栃ナビさんは海図であり、お客様の声は羅針盤です、
 もちろん完璧な地図はなく誤差は自分の人生経験や幅広い知識により修正することが絶対条件ですが、完璧でないことを踏まえ
 100%の便利すぎるツールを使うより、カナリいい道具だけれども少し自分なりの工夫をしつつ使いこなすことが
 ユーザーの自立と尊厳をも守ることになるのです、前述のミシュランは完璧の追求が至上命題であるがゆえに
 不完全から逃れられないのです、
 また個人の権利を大切にし、ジャーナリズムの不完全を理解し自分の意思で物事を決めてゆくヨーロッパの人たちには必要十分で
 ミシュランというひとつの形に過ぎないけれども信用するにたる厳しい選択に勝ち残ったという事実から
 その努力をたたえ賞賛するだけで意識上は一区切りつけ盲目的に信じるわけではないのでしっかり機能していますし、
 シアワセの増大の効果と存在価値にだれも異議を唱えません、ちなみにミシュランもより良く変わろうと常に試行錯誤しています。
*そして肝心のお話:今回のアンケートから感じるまでもなくコレだけのシゴトを無料でしているのですから
 栃ナビさんにも迷い・焦燥感があることでしょう。
 あまりにも利益を生まない栃ナビさんの社内的・社会的存在価値についてですが
 そのチャームポイントを失わない程度に利益を出すのは当たり前、
 今までボランティア精神にあふれ、情熱だけで突っ走ってきたわけですが、生みの苦しみを吹き飛ばすような
 発展が出来たのは利益でなく無垢で純粋な思いゆえでこのボランティアの段階は黎明期のインターネット環境を踏まえ
 開拓者精神からすればまさに必然&予定通りと業績に自信を持ってください。

 そして個人的にはWEBの媒体は旧来のようにただ宣伝してもらう!ということでなく
 ステキな公園は利用するみんなでゴミ拾いのひとつもしようじゃないか!と
 スローフードの3原則のひとつのように
 優良な生産者として業界がアシストする必要があると思います。
 クローバーでいえば2002年8月5日から1365日掲載で25,696アクセス、1クリック10円でも256,960円にしかなりません。
 それより口コミの半分から上は実質的に恩恵を受けているということで月に3000円課金でいかがでしょうか?
 半分の1000件で月に300万、年間3600万、これでは少なすぎますか?
 またお店紹介での並び替えも『最近のアクセス数が伸びている率の高い順』を設ければ
 軌道に乗り着々と業績を伸ばしよい循環のお店に埋もれた、これから伸びそうなお店が見えてきますし、
 口コミ数が真ん中あたりは目立たない!ということもないでしょう!
 掲載店がライバルと目するお店へリンクを張るの面白いです!
 攻撃でなく賞賛ですから!
 また、文が長ければ良いわけではないですが長いコメントがあったお店は何かしらドラマがあったはず、
 長いコメントがある順とか検索方法がいろいろあると面白いかな?と
 思います。
 
 飲食店の広告はやめたほうがいいと思います、ある程度のルールが必要で新規開店から○○ヶ月、
 とか毎月はダメ!とか・・・
 違う業種であっても冠スポンサーみたいな感じでTOPページの上のほうにずらっと
 並ぶと嫌な感じです、y-notCARDも楽天に買収されてダメになりました・・・
 AMAZONはなんとか独自性を保つのでしょうか??
 栃ナビさんが企画を作り応えてくれた店舗を取り上げることで 
 コンテンツを作るほうがいいのではないでしょうか?広告には誰もが辟易しているでしょう・・
 各自HPへのリンクがあるのでそこで宣伝なりお知らせをすればいいことです、
 いまや手軽なブログだってあるし携帯のカメラもある時代ですひとまかせでなんでもしてもらおうなんて、
 お金で解決なんて・・ヤマゼンさんとして顧客のHPなどを作るときもその顧客の独自性や個性が読み取れる(バレる?)
 ような部分も残し、『PCなんて面倒くさい!わからない!』では済まない時代なので
 “一生懸命関わって育ててね!お金じゃ解決できないこともあります、結局情熱が勝負! 
                      出来不出来でなく情熱で負けたらおしまいなのよ〜 ”  
 とWEB文化を考えればそういう方向に指導するのも必要かな?と思います。
 あとは新規オープンで宣伝したい!とか、いままでサボってたけど生まれかわったので
 見て欲しい!とか、お店の内装変えました〜とか
 どうしてもアツイ?メッセージを伝えたいヒトはあるコンテンツに登録しておいて
 抽選で当たると自社のHPのバナーが栃ナビさんのページに表示され
 当たったら『ラッキー!』と喜んでお金を払うとか??
 その料金はその内容が載った紙栃ナビ100冊を代引きで5万円払って受け取るとか・・・
 あまり大手の利潤追求のツールにならないほうがいいと思います、あくまでも
 個人としてのユーザーと個人としてシアワセを創造してゆくお店を対象にしたほうが意義があるのではないでしょうか?

 最終的に良いユーザーが多数参加し、正義の名のもとに自分たちの幸福の泉である、
 衣食住に関する公共の利益を守り、地元の衣食住の文化を高め、栃木県をきっかけに
 地球人として自分らしくより良い人生を『あ〜生まれてきてよかった〜』と楽しみながら、他の県や地域や国の人々に
 情報発信&何かの提案&お互い切磋琢磨&自慢?する場になればそれが
 本当の意味でのあらゆる垣根を乗り越えた実りあるコミュニケーションです。

 ところであるサイトで栃木の人口200万に対して栃ナビさんの月間ページビュー数が500万とか書いてありましたが
 登録ユーザー数は何人ですか?
 これを生かし毎月寄付としてひとり60円いただければ20円が口座引き落としなど雑務を請け負う会社に、
 栃ナビさんに20円、のこりの20円は何かしらの社会的なことへの寄付!
 どうでしょう?ホワイトバンド買うよりいいと思いませんか?
 携帯で余計に数分話せばスグ100円くらいいきますがそういうのには無頓着!
 なにか感謝の気持ちを頑張っている栃ナビさんに伝える方法はないでしょうか?


  クローバーステーキハウス 店長 佐々木 豊 
        2006.5.20

 
2003年末にはまったカメラ病について、
  購入した尊敬すべき藤田さんにあてた手紙です。

カメラのどりーむ 藤田様へ
 
こんにちはクローバー佐々木です、
以前OM-1を購入したものです、あれから何度も修理その他について
お忙しいのに電話攻撃をしてしまいごめんなさい!
 
さて本日同封しましたものはOM-1で撮影したものです、お客様をおとりしたものですが
こういうふんわりした写真が撮りたかったのです、シャッターの感触も最高で宝物で
毎日触ってます、
レンズは近所の中古屋さんにあった55mm/1.2銀縁です(\28000デシタ)、
今はじめについていた1.4銀縁と
1000円のジャンクを分解掃除した1.8のマルチコートの3本持っています、
1.8MCは抜けが良くあざやか&さわやかに写ります、
1.4銀縁は曇りの日に萱葺きの農家など撮影しますと最高に渋いイイ絵が撮れます!
標準を3本も持つなんて思いませんでしたがそれぞれ個性があって楽しいです、
比べるために取り替えながら撮影しています、ジャンクレンズは角材と真鍮のくぎで
カニ目レンチを作り深夜に作業しましたが絞りリングのベアリングに使うような小さいボール
を飛ばしてしまい懐中電灯を片手に床に2時間這いつくばって探しましたが行方不明!
朝の四時ごろ完成しました、絞りリングはあきらめて
無段階絞りを楽しんでいます?絞りバネをベンジンで洗浄し動くようになり復活!
レンズのガラスはレストランで20年磨いていますので得意です、
 
それをクローバーのHPの日記に書いたら地元のオオヤカラーさんが
建築関係の会社が使っていた処分を頼まれたホコリだらけのPENTAX MEがあるけど
OHして使う?といただき他の人がMEを分解しているHPを見つけて参考にし
徹夜してプリズムをクリーニング、フォーカシングスクリーンは入れ歯洗浄剤と
エアガンで食い込んだ微細なゴミを取り除き完璧によみがえりました、きれいです、
外観は最悪でしたが磨いてなんとか見られるようになりました、いまではお気に入りの愛機です、
レンズは28mm/2.8のSMC PENTAXーMと35mm/3.5SMC PENTAXが
付いていて35は使っていなかったみたいでそのまま、使いこんだ28mmは吸盤がないので
フロントのカバーに熱した釘で小さい穴を2つあけそこに手作りカニ目レンチをはめて
回しました、やはり絞りのベンジン清掃とガラス磨きで復活、前玉と後玉についた傷は無視です、
このとき絞りリングの裏側についた信号伝達用の金属の金具で苦労しました(*_*)
 
いまはPENTAX SPについてきたスーパータクマー55mm/1・8をアダプターリングKを使い
MEで使ってます、これがファインダーが明るくデザイン的にもGOODです。
 
それからミノルタSRT 101も買ってしまいまた深夜の作業・・・
モルトの交換とプリズムの掃除だけにすればイイのに
絞りリングの連動ピンの動きが遅いのでついマウントを分解したら
糸が外れいろいろしているうちに糸が切れ最悪の状況に!!
仕方なくジーパン用の糸で一番丈夫な糸で作りなおしました、しかしシャッターに
絞りにフィルム感度にと連携しているので最適な状態にするのに時間がかかり
徹夜!一睡も出来ずに仕事しました・・・・
ロールの板バネが弱っていたので巻きなおし露出計は完調になりました、
(1年前に愛車のシートを人工スエードで張りなおした余りがあってラッキーでした)
しかしミラー受けのモルトをマイナスドライバーで剥がす時にスクリーンに傷をつけてしまったのが
くやまれます、お弁当箱みたいで重たいカメラですがロッコール58mm/1.4は
素直なやわらかい描写で昔のレンズの味わいでした、アンティークなものがバッチリ合いますし
人物もやさしい感じです。
 
そしてコレがやってしまったのですがPENTAX SP!
露出計も動くし、イイ状態でいじることもないのに魔がさしました!
プリズムだけにすればイイのに巻き上げがほんの少し鳴くので
調子に乗って底板を外し注油しようと思い、なにも考えずに部品を外したら
巻上げ不能に!しかたなく次の日にグッタペルカ?を剥がしセルフを外しいろいろ
試すもミラーが連動しなくなりシャッターも先幕が中途半端だったりもうめちゃくちゃです、
今年はもうあきらめて来年ゆっくり直します→直らないほうが公算大ですけれど・・・
やはり心臓部は素人には難しすぎました、なめていたわけではありませんが痛い目に遭い反省してます、
 
行き付けのカフェでロシアのZENITをもらったりすっかりカメラ漬けの日々です(^。^♪
結局高校時代からズームだったので標準をすっ飛ばしていまして、ここに来て6本になり写真観がすっかり変わりました、
CONTAX TVSと標準レンズ付きのマニュアルカメラがワタシにとって今一番イイ組み合わせのようです。
 
とりあえずOM-1は尊敬の念を込め分解しないつもりです、ワタシの人生でベストなカメラです。
 
いろいろ書きましたが、藤田さんと知り合いカメラに関しては考えがずいぶん変わったような気がします、
またカメラとの縁が強くなりました、もう一度銀塩の世界戻り、一から出直しの気分です、そのはじめのきっかけが
藤田さんであったことに感謝します、職人さん大好きです!自分もデザートや料理・サービスでは職人でありたいと願っています。
 
PS,そうそうロシアのLOMO LC-Aもイイです、個性ある写りで楽しいです(^。^♪
 
それではこの辺で、寒くなってきましたお風邪など召しませんようにご自愛下さい、
いつか工房に遊びに行きたいです!お邪魔でしょうが・・・



  ◆写真について◆Part1
初めてカメラを買ってもらったのは小学校1年のとき(ませがき!生意気!)
親戚のおじさんが長い望遠レンズを一眼レフにつけて撮っているのに憧れて
住んでいた宇都宮市峰町の自宅から宇都宮大学の横を通り片道20分の
小学校の通学路にあるカメラやさんに時々通いショーウィンドウを眺めていました、もちろんそこには一眼レフなどはなくコンパクトカメラが3・4台ころんと
置いてあるだけでしたが(田舎のカメラやさんです、数台の高価なカメラは店内の一番いいところにうやうやしく陳列されていました)
お正月にいただいたお年玉の1万五千円を無理やり
(長男・一人っ子=半泣き!)使わせもらいお金を握り締めカメラやさんへ!
そこで一番安いのがなんとか買えてニコニコしながら帰ってきました、
ヤシカ35エレクトロ?とかいう名前でした、小さいレンズがちょこんとついていて露出はオート、距離計は目測のゾーンフォーカス(絵が4つくらい描いてあり
人の形に合わせると近距離、山の形は風景など・・)でシャッターもフィルム装填も手作業、いまのようにコンパクトカメラにモーター巻き上げなんてついてません、ストロボさえもクリップオンで後からつけるタイプ、しかも家の押入れにあったのはストロボじゃなくてフラッシュ!収納状態では反射板が重なり一本の閉じた扇子のような状態の銀色の羽根をグルン!と孔雀の羽のようにパラボラアンテナ状に広げ真ん中にブルーの電球をセットし撮影するとポン!という音とともに電球が燃え!ホントに燃えて発光します、使い終わった電球は
背面のボタンを押すとポロンと外れて地面にコロコロ〜、しばらくは手で触れません!なにしろ電球のガラスが熱で溶解してやわらかいのですから、畳の上で発光直後に電球をポンと外そうものなら畳が焦げます!
このカメラもちょっとしたコツが入りますがフィルムを装填し、ピントだけ4つのゾーンから選べば後は自動でした、EEはエレクトロアイの略で露出計連動の自動露出という意味です、この当時は露出が自動というだけでもお手軽なカメラということでした。
いやー今はホント便利!です、廉価なコンパクトカメラでもストロボ内蔵、自動巻上げ巻き戻しは当たり前、露出&ピントあわせもオートですし撮り終れば自動で巻き戻し!状況に応じて内臓ストロボが勝手に光る!フィルムを装填したらあとはシャッター押すだけ・・・ですから撮るのは機械!人間は何の工夫もせず、押すだけ!なんか写真を撮る機械=カメラのお世話をしているような・・カメラに撮られるな!自分の考えや感性を写真を通じて表現するというカンジじゃないですね、アングルとか構図とかもっと考えて工夫するとオートの真のありがたみ=作画に集中できる、シャッターチャンスを逃さないということがシアワセとして実感できますが、たいていはどうでもイイ?写真を量産してゆく機械になりがちです、一瞬の光や表情にこだわり、もっと背伸びしたり、しゃがんだり動き回ったりアングルを工夫し、いつでも撮れる様にカメラを持ち歩き『いざ鎌倉!』の用意をしていると、面白い写真が撮れて人生をより良く彩るツールとしてカメラは人生の良き相棒になるのですが・・
歩きなれたいつもの散歩道でも公園でもカメラを持ちいつもと違う視点になると季節ごとに微妙に表情を変え同じ風景というのは2つとはない、という事に気づくはず・・・見慣れた場所でも真上を見上げたり子供のころは目線はこの辺だったなぁ!としゃがんでみたりするとずいぶん違う景色が映るはず!


つらいこの話題!
でも避けて通れぬつらさよ
『何故クローバーは電話が通じにくいのか???の巻き』

ある日の書き込みです・・・・

来月の姪の七五三のお祝いに、そちらの予約をしようと お電話をしたのですが、テープのメッセージが流れるか 呼び出し音が続くばかり。 日曜の今日は営業なさっていなかったのでしょうか? テープで言っている「忙しい時間」ではないのですが・・・

それに対し答えに悩み夜中の1時から3時までウンウンして
挙句に横になったら寝てしまい、朝あわてて起きて用意をし
掃除の時間に自分の分を他のスタッフに押し付け、
それでなんとか11時にお返事できた!という大騒ぎに・・・

こんばんは、クローバー店長 佐々木です、 返信がおそくなりすいません!大体いつも12時ごろには手が空くのですが いろいろ用事が重なりメールチェックが遅れました・・ごめんなさい。 早速ですが お電話の件はご迷惑をおかけしています自覚しております 本当に申し訳ないと思っています、伝言メッセージも苦肉の策です、 出来ればいつでも3コールくらいでスムーズに気持ち良く出たいのですが 怠けているわけではなく現実に出れないのです(どうご説明してもスタッフにならないと 内情はおわかりいただけず言い訳になることを覚悟してご説明しています) 今日もおかげさまで11時半から2時半ごろまで満席でした (もちろんその間も電話に出れるとときはメッセージ応答中でも出ています) 今日の状況ですとお席があきだすのは 1時間後の3時半になりこの時間はまだまだみんな裏では走りまわっています、 その頃から交替でお昼ご飯(大体今日くらいの客数だと立ち食いで5分!) を食べます、お客さまがお帰りになると、お昼を食べている分少ない人数で お会計をし今度はそのお席を片付け、そのお客様の使ったナイフ・フォークやグラス類を 洗い・磨き・しかるべきところにしまって(かなりの量ですのでこれだけでもなれた ひとでも1時間以上かかります)食事が終わったら交替で休憩、 朝九時半から夜12時まで(14時間!)拘束しているので 休憩も1時間くらいはあげたいですから・・・ 残ったスタッフが死に物狂いで片付けてお帰りなると5時半までに完了すべき 夜の準備を手分けしてします、 この間もお客様は来店し接客&調理は続くので片付け&夜の準備に集中は出来ず 途切れ途切れ・・・ しかも半分の人数で何とかしなくてはなりません、 もちろん少しでも手が空いている人間がいれば留守応答中でも出ます。 多分2時過ぎに留守電は解除しましたが そのあとも続くこのような状況に加え、お会計で一人一人個別に会計し ドレッシングやケーキを包み・料理出るよ〜と呼ばれ 料理を片付けてテーブル拭いて、コーヒーやその他の準備をしながら ステーキを運んでステーキにソースをおかけしたり 仕事の出来るスタッフに手の空く時間はほとんどありません、 客様との会話など接客の途中などのときは  お電話が鳴っても出れずに悔しい思いをすることが多々あります、 来店されている=今、目の前にいる客様には最善(たいした最善ではないですが・・)を 尽くしたいので 人がいなくても!あおられている状態でも!せめて コーヒーが飲み終わってもゆっくりしたい人にはお茶ぐらいお出ししたいですし 灰皿は交換したいですし、空のお冷グラスは我慢ならない! 最低限はお客様のクローバーに寄せる期待を裏切らないでサービスしなくては 自分たちも仕事に誇りを持つことが出来ませんし、 HAPPY!にはなれません!なによりお客様が来なくなります、 ちなみによほどベテランでないとバイトは電話は出れません、 また電話に出れるスタッフはご案内やお会計もできるので 必然的にいろんな仕事の中心になります、 注文を出したり、備品の買い物をしたり、掃除のタオルや布巾を洗濯したり 日替りメニューを書いたりもこの2時から6時の時間帯です。 バースデーのサービスのデザートを盛り付けたり、 お皿類、ランプやキャンドルを用意し、パンなど食材の夜の営業分の補充もあります、 今、ずらずらっといい訳がましく並べたことはレストランなら当然するべきことであり わざわざこんなことしてます!とアピールすることではありませんし お電話より雑用を優先することはありません、がしかし お客様の出れるのに出ないんだろう!という疑惑を払拭しなければなりませんから・・・ ご説明です、すいません、 2時すぎてアイドルタイムになっても店を閉めずに営業したり(遠くから道に迷い迷いし ながら いらっしゃる方もいらっしゃいますから・・)あれもしたい!これもしたい!と メニューが増え大量の仕込みで調理スタッフもてんてこまい!などスタッフの仕事を増や しつづける 私の責任と言えなくも無いですが、めんどうな手のかかる裏の仕事をしっかり誠意を持っ てしたいです、 だからこそわざわざお客様が足を運んでくださると信じています。 今14年目で100点満点で自己採点はやっと35点!です。 これにはモチロン電話に対するクレームも影響してます、 高校生のバイトのコも2年くらいいると17歳ぐらいで分別のつくオトナになり ずいぶん力になってくれますが、世間知らずの15歳・16歳のコを バイトとして使うのが前提の今のクローバーでは100点はありえない状況です、 それでも出来る人は出来るなりに、出来ない人は出来ないなりに せいいっぱい尽くしてくれてます、サボっているいいかげんな人間が スタッフ50人(バイトは交替で来る≪=毎日こき使ったらすぐ逃げる!!≫ので お店の表裏で常時20数名ですけれど)にたった一人もいません!それが私の誇りです。 いろいろ書きましたがいずれにせよお客様にご迷惑をおかけしている現在! これがクローバーの実力です、しかし開き直りでなく前向きに 努力は続けます、電話係りも能率が悪く人件費がかさみ料理の値段に反映しますので 予定はありませんけれど・・・大体難しい予約の交渉の時に うまくお客様をリードできる、なれたスタッフ同様の知識がつくまで 何年かかるやら(つづくやら)料理を運んだり・下働きをしてはじめて見えてくるものも あるでしょう電話だけではやはり使える人間にはなりません、 それが出来るスタッフは電話よりも接客にまわった方がお客様のためです、 お客様の七五三のように大切なイベントの時役に立ちますし、 自動メッセージを流す以前試しにとある日の電話の時間を計測したら 呼び出しの時間も含め12時間中4時間が電話使用中でした=これはほぼ絶え間無く 一日中電話している!ということです、レジにいてもお会計もせず、 ご案内もせず、ドレッシング・ケーキも売らず(余計なことに手を出すと肝心の電話が取 れない=電話番 の役目を果たさない)ただただ電話に出るために立っているのなら皆で手分けして出た方 が無駄が無いの です、一般の会社ならそうするのでしょうがクローバーには1分以上何もしないでもいい ような仕事を作るほど 人的・費用的にも余裕がありません、お客様はさぞ利益が出ているだろう?と思うでしょ うが13年間営業 して貯金はほとんど出来ませんでした、 わずかな利益があってもすぐさま全て『みんなの公園』としてのクローバーに使ってきま した、 8年前烏山宮原から移転し6年間は決算時の利益無し!です、今年ようやく人手不足!から わずかに利益がでた笑えない話です 一番苦しいのは人件費と原材料費です、しかしここはこだわらなければならないしだから こそこんな田舎 (私にとっては、大好きな自然たっぷりの最高の場所)にわざわざ来てくれるのでしょう ・・・ 商売・ビジネスとしてドライに割り切っては本当のサービス業はできないと信じています ! 趣味でやるほどの器量もありませんが私的にはお客様をシアワセに出来るこの素晴らしい 仕事が趣味 と断言できますしそれに少しでも共感できるスタッフが残っていると思います。 経営的には好きでやっている・仕事が趣味だから・・ そういわないとやってらんない、そんなかんじでもあります。 短いご質問にこんな長いお答えで申し訳ありませんが 『出れなくてすいません、この次は必ず出ます!』なんていうウソはつきたくないので・ ・・ クローバーのことを好き!という気持ちがあるからこそのご意見だと思います、 しかし薄利多売・いらした方全員を元気にしてお返ししたい! その目的を果たすために電話が犠牲になっていることは事実です、現状では全てのスタッ フが育ち このお電話のつながりにくさや入り口の待ち時間の長さにお客様が げんなりし人気が無くなり客数が減り電話に出るのが余裕になる! (つぶれたり、良いスタッフが店を去る危険がありますが・・)ということでもないと 劇的に改善されることはないと思います、ただ今日これから 『少しでも努力して電話に出よう!出来ないとあきらめずにガンバロウ!』と話し合いま す。 最後にお客様が好きになってくれた理由『料理が美味しくてサービスの良いクローバー』 を 維持しもっといい店にするためにオープン当初よりの誠意・情熱は増えることはあっても 衰えたことはありません、精一杯人生をささげた仕事が現状です、 これはレストランの神様に誓えます! いいかげんな気持ちで仕事をしたことは一日たりともありません! それを信じてついてきてもらうしかありません、お客様に『やっぱりクローバーが一番好 き!』と 言ってもらえるようにこれからも頑張ります。 (すいません夜中に書いていて文章に悩み考えている途中で寝てしまいました!! 送信が昼間で書き出しがこんばんは!も無いですがそのままにしておきます)

     ・・・・写真のハナシ・・・・
8月にお食事にいらしたときにバースデー記念に
お写真をお撮りしました、『カメラ忘れた!』『フィルム無い!!』
なんていう時は私の愛機CONTAX T2の出番です。

ただこの時に問題が・・・
下のお子さんの目がかなり腫れていました!
出来上がりの写真を見てさぁ困った、かなり目立ちます!
後で見てお兄ちゃんは喜ぶけど
おとうとはなんか見たくないなぁ!なんていじけられても悲しい!
ただでさえ腫れた自分の顔にびっくりしご両親が『すぐ直るよ!気にするな!』と励まし、
やっと慣れてきたころでしょうし、なにも記録が残らなければなかったこと・・
しかし、せっかく食事の記念だからと大切に保存されるといつまでも腫れて
いやな思いをいた記憶が残ります!
男の子なんだからそんなの気にするな!とは思いますが、
やはりデリケートな年頃、小学校3,4年まではなるべく傷つけることは
避けたい!お友達や親戚のやんちゃな子が見つけて
『わぁ〜!』とか言ったらヤッパリ悲しくなるでしょう、、
ましてやお気に入りの女の子だったりしたら・・・・
ということで 一枚だけうつむき加減の写真があり、これなら腫れも目立たず・・・お兄ちゃんもイイ顔してるし問題がなさそう、ただひとつだけ気をつけなくてはいけないのは、もし何かの病気で長期間この腫れが続く場合!これがこの子の身体的特徴としての個性なら(=身障者の方もワタシはその不自由な部分はハンデでなく個性と考えています)
この子の存在をある面で否定してしまうようで、それもまた傷つけてしまう!!これが一番恐ろしい!
やはりあるがままがいいのか?
悩んだ末、ご両親が始めに見るのだから、お子様の状況に合わせ
うまくやってくれるだろう!とかんがえて、簡単なメッセージをつけて“うつむいてあまり目の目立たない写真”をお送りいしました・・・

そして後日
そのお子様のご両親から『祖父母ともどもお心遣い感謝しております、
当時結膜炎の息子のために一番イイ写真を選んでいただきありがとうございます』とお電話がありました、このときやっと胸のつかえがおりました!
良かった!わざわざ知らせてくれたご両親に感謝です!
一番いい結果が出て悩んだかいがありました!
やったー!エネルギー充填!完了!
これだからレストランはヤメラレマセン!



    ・・・・・・・・・
今日の夕方・・・
短い休憩時間を休憩室のトイレで満喫!
すっきりした〜!と立ち上がると・・・
ちいさな窓越しに西の空でオレンジピンク?と色とりどりの?ブルーが
すっごいことに!!
ねじまがり、絡み合いながら大空ピン子・あお太独演天空ショーを
やっているではないですか!!
トイレのデンキを消す間も惜しく、ズボンのチャックをどう閉めたのか?
も覚えていません!ただただジャリジャリと足元に絡みつく砂利道を蹴っ飛ばし枕木を飛び越え、アスファルトの駐車場を駆け抜け左に90度ターン!そのまま裏口から店に戻り、開きからかばんを取り出すとデジカメとCONTAX T2をつかみまた来た道順をバック!!
愛車の四駆の上に飛び乗り、撮ったのが左の写真!
わずかな時間にずいぶん輝きが弱くなり、必死でシャッターを切りました・・
なんとかこの感動のかけらでも記録しようと・・
モチロン実物(特にトイレの小窓から見た切り取られた空)は数倍感動的でした、おすそ分けです?左の写真をクリックして想像してみてください。

そらはなんでも知っている・・・
地球の周りをの〜んびり回りながら見てないようで見ている、
僕たちには見えない地球の裏側を知っている、
そらはひとつ!どこまで行っても途切れることはない、
いつも見上げればそらはそこにある、いまあたまの上にある空は
きのう泣いていたあのしろっぽいそらなのか?
それとも違うそらなのか??
あまりにも他人のようないろんな顔をもつそらなので
いろんなそらが混ざっているのか?
それともやっぱりひとつなのか?
かいもくケントウモツカナイ・・・
そらのあちこちでは稲妻が走ったり、ハリケーンが起きたり、
北極のオーロラの上ではオゾンの十円はげができたり忙しい・・・
でもそらはそんなことお構い無しの様子、ときにじ〜っと
ときにのんびり僕らを見ている、地球と宇宙を行ったり来たりしながら
ぷかぷかぼんやり僕らを包んでる




    ・・・・○DNAのハナシ○・・・・
普段、遺伝や進化についてなんてほとんど考えないけれど・・・
それでもたまには太古の歴史に思いをはせるコトも・・アリマス
子供のころから恐竜好きだし怪獣好きだし!
宇宙が生まれたのが137億年前、地球が誕生して46億年。生命が誕生したのは38億年前。多様な多細胞生物が爆発的に出現したのが5億7千万年前です(人類誕生はたった400万年前)。地球生命は30億年間以上を単純な単細胞生物として過ごしてきました。
進化って何でしょう?太古の海の中で満足していた大多数の種と変わり者なのか?なんとなく海面近くに来てはうらやましそうに陸を眺めていた種も存在し、その変わり者の海の生物が長い時間をかけてエラを水陸両用に改造しついには肺を得て陸と水を行ったり来たり、そして四肢を得てついに陸に上がる、さらにはその中から空を飛ぶ種も現れて・・・ なぜそんなことができるのでしょう?
ここで殺虫剤に強くなる虫をヒントに考えましょう、強すぎる殺虫剤は虫を強くしてしまうので薄めに使うのが常識だそうです、ではなぜ殺虫剤に強くなれるのでしょう?

ゴキブリを例に殺虫剤にどうやって打ち勝つのか?そのメカニズムを・・・
まずしっかり薬のかかったゴキブリは当然死んでしまいます、ちなみにこの個体は参考になりません!殺虫剤がかかりながらも死には至らず半死半生で命からがら逃げ帰ったゴキブリがポイントです、彼はダメージを負いながらも生殖できました。すると種の保存の法則にのっとり、親ゴキブリの殺虫剤に対するダメージをDNAの情報にのせて子供に伝わるわけです、子供のゴキブリが奇形や病気のまま生まれることもあるでしょう、遺伝が何度か繰り返される間にゴキブリは殺虫剤に対する諸問題を分析し対策を考え、自分たちの体に変化を施すわけです、これは生き物すべてが本来持っているチカラのはずで、そう仮定しないと生き物は地球環境の変化に対応できません、最近?の一番大きな環境の変化:氷河期を乗り越えた種と絶滅した種があるわけですから・・・
DNAにはすべての情報が詰まっていてその設計図に基づきカラダを作るわけです、その設計図自体も、たんぱく質の分解・合成の仕方も、アミノ酸の判別の仕方もすべて生き物には既知の情報としてインプットされています、それをわずかづつではありますが新しい情報も加味してプログラムを書き換え新しい進化形を作り出す事ができるのです、進化こそが種の保存の大原則なのです、あと10億年もすると地球は太陽が成長して太陽からの熱エネルギーや放射線を受けすぎ生物の生きられる環境ではなくなるそうです(ハビタブルゾーン=“生命の営みの可能性のある環境” から外れます)がそのとき人間はどうやってそれを乗り越えるのか?絶滅するのか?ただ長く続いた恐竜の時代もたった1億五千年で終わりを告げ、これ以上続いた生命の歴史はありません(前述のようにヒトは400万年の歴史しか持ちません)から心配しなくてもいいのかもしれませんが、このように生物には経験や強い思い(陸に上がりたい!とか空を飛びたい!とか)により時間はかかりますが自分の種を進化させ“より環境に適応し生物的快適をめざし?生き延びる”能力があります、無形の自分の思いを子孫に伝えることができるのです、
これはある意味『自分の分身をDNAに載せて次世代に生まれ変わる』ということにも等しいのではないのでしょうか?前世の記憶はないわけですが、精神というかココロの声というか目に見えない形で未来に影響を与える事はできます、事実生き物の本能としての『生き延びろ!生存をあきらめるな!』これは絶体絶命のときにココロに響く声です、しかし死んだことのない人間が死ぬ恐ろしさを本当に知っているでしょうか?経験したことのない事柄に深い理解があるでしょうか?小さな子供が死ぬことの自覚のないまま死に直面しそれでも生き物としての力を振り絞り、死に抵抗し生き延びようとするのは何故でしょう?やはりDNAに刻まれた知識=本能(そうです本能とは過去に生物として人間がDNAに刻んできた知識なのです)
“過去から未来への情報の受け渡し”絵もなく!本もなく!こんなことができるのがすごい能力だと思います、そしてそれを与えたのが第3者ならまさしくそれは神にも等しい神秘の存在です。
ただしDNAの情報に必ずしも縛られるわけではありません、たとえば20歳で子供を生んだ場合と人生経験を積んだあとで生んだ子供とではその子供に受け継がれるDNAの情報量に違いがありますが、白いページが多いだけでその分世界に対して素直であるともいえ過去に縛られない新しい何かを作り出せる人間(発明王のエジソンみたいに・・)になれるかも知れず心配することはありません。
多少の情報不足は情熱と実際の経験、そして過去のDNA情報が補ってくれます、人間死ぬ気でやれば何でもできる!それは何億人という人類の歴史・情報を背負っているからです。

DNAの幼少期から青年期の活動:
受精卵のDNA情報が出産し生まれてからそこがどんな世界であるか?過去のデータベースをもとにある程度推測して母親のDNAからもデータを取り胎内で胎児の発育具合を調節します、あるていど推測してこんな感じだな?とカラダを形作り、あとは小さな修正ですが生れ落ちてから微調整をしようとスタンバイしています、例として硬いものを食べなくなった日本人のあごはどんどん細く小さくなってきていますが、子供のころから硬いものを食べないからあごが成長しないのではなく、骨格はDNAであるていど決められていてあらかじめ親のDNA情報により硬い食べ物が減ってきているという情報を得て小さめに作られ、実際に幼児期・少年期を通じ硬い食べ物との接触の少ない場合DNAは様子を見ながらあごの成長を抑制します、そんなシステムです、
予習をして検証して実行する、必ず親の経験は情報として受け継がれそれが次世代にも通じる『人類にとって有益な』情報なら遺伝情報として後世に伝えるのです、イチローの父チチローはイチローほど野球の才能がなかった!しかし野球に対する思いは世界一で常にどうしたら野球がうまくなるのか無限の愛情とともにいつも思いが胸にありその思いがDNAの情報に乗り、イチローはお母さんのおなかの中にいるときから、母はもちろん父の思いを無意識に受け継ぎ運動神経・身体能力・スポーツに対する興味・愛情をすでに醸成していたのです、ただ無意識下で活動するDNAそしてその情報は本人がココロで叫び、神様にもすがる思いで求めるとき(生命=存在意義の危険に直面したとき)忽然と姿を現し、私たちを助けます。

子供の外見が親に似るのは理解できますが、仕草や言動で『いつの間に見て覚えたのか?』というくらいそっくりな行動をとる事があり『一緒に暮らすと似ちゃうね〜』なんていう話が良くありますが、
一緒に暮らさなくても似てしまう可能性があります、DNAにほんのわずかですが性格や話し方や考え方まで記録されてゆくのですから・・
別の視点から見ると十代の親から生まれた子供でも親がすでにそのまた親の子供から見ればおじいさん・おばあさんDNAを受け継いでいるわけで十代の親の経験値が不足しているといっても過去にさかのぼれば消去されていない膨大なデータがありなんら困ることはなく、若い家族が兄弟みたいなことが多いのはその親も子供もおじいさん・おばあさんの影響を比較的並列に(間にあまり親の経験値がはさまらずに)うけつぐからでしょう=十数年間の開いた兄弟みたいなカンジです、ただ父親は自分の奥さんの親のDNAは持っていませんし、母親もだんなさんの親のDNAは持っていませんからまったく同列に兄弟ではないですがそういう雰囲気がにじむ!という程度です、
また子供は親を通じて過去のDNAのデータにアクセスできるので親も受け継がなかったような祖父母の特徴を受け継ぎ『隔世遺伝』として周りを不思議がらせたりします、私は楊貴妃の生まれ変わり!なんていってもまったく可能性がないわけでもないです、そこまでさかのぼり純粋な楊貴妃のデータを活用できれば生まれ変わりは無理でも相当似ているかもしれません、ただ思いの結実として具体化した(変化した後の形としての)情報は長期間保存できますが形のない抽象的な思いという形の保存は意外に難しく、強い思いならゴキブリの驚異的な適応力(世代交代も早いのでDNAの伝達・改良も早い)をみれば納得できます、短期集中の劇的変化もDNAは得意かもしれません!

最近の日本人の体型の傾向である『胴が短く足が長く』は西洋人を見て憧れいつの間にか日本人も手にしたものです!ここ100年くらいで急激に変化したのは驚きです!それはただ単に食生活の変化だけでなく、そういうスタイルでありたい!と強く願った先代の親たちの思いが情報としてDNAに載ったおかげかもしれません、そう考えると強力な強い思いは割りと短期間に実現されるのでは・・海から陸に生物が上陸したのもこれだけの変化がおきるほど強い思いが募るにはある程度時間が必要だとしても、変化は実は何万年とかのゆっくりした時間の経過ではなく一気に起きたのかもしれません、《逆に楊貴妃が私の美貌を後世に伝えたい生まれ変わりたいという思い(極めて個人的な種の保存にとって大して重要でない事柄)は時間の経過に耐えられずだんだん風化し消えていってしまったのかも・・・》また必要とあらば穀物の摂取に適した胴長短足(これと黄色い皮膚は実は農耕文化に根ざした進化系なのですが・・)に手遅れになる前に戻れるようになっていると思います。

不謹慎かもしれませんがときどき現れる奇形はこんなのどうかな?という新作発表かもしれません、突然変異が進化のきっかけ!ともいえるからです、例として放射能を受けて奇形で誕生する、それは放射能下でも生きられるカラダを手に入れるためのプロセスでもあるのです、ただ人類が放射能を否定する限りその奇形児は奇形としてマイナーな存在に甘んじるわけです、被爆量が世界的にかなりの量になり(紫外線も放射線の1種)この経験がいつの日か来る、成長する太陽からとどく放射線と共存するための武器になるかもしれません??

ただ基本的な人体の構造は変わりにくく目や指の数は変化しにくい部分です、記憶なども無意識下でDNAを受け継いだ本人が自由にその情報を操れるわけではありません、個人的な(取るに足らない情報は1世代か2世代にかすかに受け継がれるだけで後の世代が経験しなかった必要とされなかった情報は取捨選択され消去されてゆき、より重要とされる情報が上書きされてゆきます、ただあごの大きいヒトも一定の比率で生まれますがこれは人類の知恵で“固い穀物”や“木の根”“調理もしてないそのままの生肉や骨”を租借しないといけない、現代から見れば豊かでない貧しい原始の世界にいつ逆行するかもしれないのでその備えです、種の保存のための知恵です!いろんな体型のいろんな考えのいろんな能力を持ったヒトがいてその種のなかでバリエーションが多ければ多いほど環境の変化に対応しどれかが生き残る可能性が出てくるという、人間のコントロールできない、DNAが独自に思考し世界中のDNAと前世にさかのぼったり情報を未来に託して子孫に伝達したり複雑な経路で情報をやり取りし全体のバランスをとりながら人類を存続させるためありとあらゆる可能性を吟味し活動しているとしか思えない不思議さです、これからの未来はまったくの白い地図ではなく、運命のいたずらでもなく状況を読みながら思考し常に一歩先を歩くDNAに守られ支配されているともいえます、もし世界で起きたすべてのことはDNAというスーパーコンピューターのプログラムどおりだとしたら・・自分から楽しく遊んでいるつもり・辛くても自分のためとせっせと働いていること、ウンウンいいながら知識を脳に詰め込む、これらがすべて無意識に次世代に最大の経験値を伝えるための作業だとしたら・・・
う〜ん頭がこんがらがる!
な・の・で・・・身近なハナシで締めたいと思います、『あなたが普段思っていること・経験したこと』それが次世代に伝わる、これって恐ろしくも神聖なことです、いつも怒ってばかりいればかすかでも情報として伝わります、いつも穏やかな広いココロでいればそれが伝わります、平和そうに見えても自然界を見渡せば弱肉強食!優れた運動神経や判断力も必要です、相手から攻撃を受ければそれを防ぐ力も必要です。
自分はレストランの神に従えるものとして、美味しいものを楽しむシアワセや些細なことを喜べる、毎日ひとつでも多くココロから笑うこと!そういう環境をレストランを通じて人類に提示したい!生き残ることは非情なこと、食の文化など忘れ去られ本能むき出しになってしまう、でも大局を乗り越え落ち着いたら是非食べる楽しみを思い出して欲しい!ただ胃袋を満たすだけでなく・・・食事をしながら笑いあったり・思い出を語ったり・許しあったり・希望を持ったり・あったかい気持ちになりそばにいるヒトを抱きしめたくなる、それを人類の財産として何万年でも決して忘れることなく受け継がれるようDNAに刻むお手伝いをしたい・・
あなたは自分のいいところとわるいところどちらを後世にプレゼントしたいですか?あなたの生き様がいろんな形で影響しそのまま伝わります、死んでしまえばすべて終わりには残念ながらなりません、未来にも責任を持たなければならない事実に人類はいまさらながら気づくときが来てしまいました。


○うちの父さんは日本一の巻き○
お座敷にいらした7人のお客さまのなかで50歳くらいの女性がしきりに
うちの父はすごい!を連発!『戦争も経験した年代の人なのに手は絶対上げないし(私:えっ!時と場合には必要なんじゃ?)男には厳しいけど女性には手をあげないから・・(私:なんだフツーでしょでもこの男尊女卑の時代には珍しいか??)教育がこれからは大切だ!と口癖のように言っていて日本の将来のことを本気で考えていた・・日本国憲法などもすべて覚えていてそういう努力を50歳を過ぎてもしていました常に前向き!俳句なども好きで・・・とにかくうちの父は日本一だと思ってます、兄弟も遊びにいくと何か得るものがあるんじゃないかと楽しみにして出かけて行くんですよ、大好きなんです!』
言葉にすると陳腐にも聞こえるかもしれませんが、たしかにこのお父さんは素晴らしい人です!!なにしろ押し付けるわけでなく乾いた地面に水が染み込むように、諭すように人のココロに思いを伝えることができる方なのです、私はロックが好きです、魂の叫びが好きです、でもブルースのようにじわっと思いが伝わるものもいいもんです、まるで広い湖の端から端まで波紋が静かに伝わるようにそっと・・しかし確実に染みてゆく、むきになって強い力で押せば押すほど強く押し返される、チカラを抜いてそっとちょうど良いチカラで押したほうがするっと動いたりする!武道の極意ですが、私は叫び!と魂の波動で人に何かを伝えられるヒトになりたい、見たこともないおじいさんのハナシでそう思いました、まさにおじいさんの波動がヒトを超え、時間を超え私に伝わった瞬間でした!
そして父が大好きと言える娘に大好きと言ってもらえる父!シアワセがここにあります。

○天龍さんの夢のハナシ○
お客様で刈谷 天龍さまという方がいらっしゃいます、
格闘家のような堂々とした体躯に、湖に静かに満ちる水のような知性、
ユーモアと洞察力にあふれ・・一種独特の風貌・・・
西那須野在住の方なのですが お酒・お食事・人生にこだわり、家族愛に満ち満ちた私の敬愛するステキな男性です、そのかたが久しぶりにいらして
『店長の夢見たんだよ〜今日!
うちは風がきもちよくってさぁ〜
昼間すっぽんポンで昼寝してたら、なんだか娘たちと楽しそうに話してる店長がいてさぁ
慌てておきて “なにやってんだ!はやくお茶でもお出ししないと〜”で自らアセアセしながらお茶を淹れると“じゃぁ!”とか言ってあっという間にいなくなっちゃってさぁ〜』
娘さんたちはクローバーにいく日でもあったことだし
『佐々木さんが気を飛ばしたんじゃないの〜』とかいってたそうで・・・
う〜んできたらいいなぁ、メルマガ送らなくても本日のおすすめがわかってもらえるなぁ・・
私は話を聞きながら、、天龍さんのスッポンポンが妙に耳に残り、今晩あたり夢を見そうだなぁ〜と思いました・・・
夜中になんだか重くて目を覚ますと裸の天龍さんが乗っかってて
なまあたたかい密着した肌の感触が・・・う〜んなんだかなぁ・・
そのハナシもすると天龍さん『大丈夫だよ!パンツははいているよ、フリチンじゃないから!』
だそうです、でもまぁ気が飛んだならそれはそれでうれしいな!
なんか深層心理下の違う意味・次元でココロが通じ合ったのかも・・
言葉より大切な目には見えない本当にタイセツなもの
いつも探しているものの影くらいは見えたような・・


○写真のハナシ○〜ロモもどき〜
私は元高校写真部・・ゆえに少しだけ写真・カメラに思い入れあり、
現在のカメラ事情はHP製作のため主にデジカメをメインに使ってます、それからお客様のスナップを撮影するコンパクトカメラそしてほんのたま〜に一眼レフが登場、ところが最近うちのスタッフの女の子がデジタルはPCを介さないと見れないのでいつでもぱらっと見れる(フィルムを使う銀塩)カメラ欲しい!でも予算は2・3万とのたまい、それなら2万ちょっとで買える『ロモ』がいいんじゃない?と私!
ロモは泣く子も黙る、ロシアのトイカメラ(コイツの場合おもちゃと呼ぶには立派すぎなカメラ!尊敬をこめてたのしい創造性をトイとあらわしていると解釈しています)です。
レンズがサイコーで独特のいい映りをします、まぁ日本の数値がすべてのようなレンズ評価基準で行けば落第レンズ!です、しかしただシャープにきっちり正確に写ることだけにまい進し、空気感やボケ味など官能評価が後回しになりがちで、どうも画一的な映りをする優等生レンズに少々辟易していたのも事実!暗いところや室内の開放付近(絞りを開いた状態=F2.8で明るい!)ではホンワリ柔らかに・・・色も抜け気味でイイ感じ(^^♪明るい外などで絞りを絞れば(自動なんですけど・・)ピリッとシャープに情景を描き出し平凡な風景をアーティスティックなロモ色に染め上げる、魔法のカメラです!
い〜かげんそうでちゃんとしている!そんな人間くさいカメラです、トイカメラといっても金属ボディを使用し堅牢性もありロシア軍も制式採用しています、長く使えるところも道具としての要件を満たしています、ヨーロッパのデザイナーや芸術家など感性の敏感な人々からこりゃ面白い!押すだけでステキな写真が撮れる!と火がつきあっという間に世界中にロモのファンクラブやWEBサイトが誕生し一大勢力です!ただロモ人気を沸騰させ、いまもその熱狂的ファン映像交流の代表的ツールがインターネットだということが現代的というか皮肉といおうか??効率優先・時代のあだ花がロモです。

そんなロモのサイトを見ていたらこんな写真が最短撮影距離が0.8Mなので接写が苦手なロモ、それでこんな裏技が・・
なんと虫眼鏡をレンズの前において撮影!びっくりのクローズアップ!こういう工夫ができる余地がある!またそうい面白い発想の人がユーザー!なのがロモ、ロモの世界に触発され人生の幅が広がる、ここに面白みがあります、自分の価値観で自分の人生を生きる人にふさわしい!そういう自由な空気・思想がロモの魅力です。
それでマネしてみたのですが、壊れて片方だけ残っていた双眼鏡のかたわれにOLYMPUSのデジカメのレンズをくっつけると・・・
みかけはイマイチですが
ぴったり〜まるであつらえたようです、、!(^^)!
この大きさがノーマルデジカメ望遠側の目いっぱい!
それがこんなに拡大されちゃいます!
上の写真の中央の絵です、まるですぐそこにあるよう!

ロモを知らなければ一生しなかったコトです、サンキュ!ロモ!

うれしくていろいろ撮ってみました、ちょっぴりロモちっく!


○困ったお客様?○

なにが困るお客様かというと勝手に不機嫌になる方です、
ホントに些細なことです・・・ガチャリと玄関が開いてお客様が入り口に立っています、当然こちらは『いらっしゃいませ!ご予約のお客様でしょうか?』と
お聞きしますが、なぜか?な・ぜ・か・・これが気に入らないようで『予約じゃないとだめなの!!』と瞬間的に表情が変わり、かなり感情的に突っ込まれます(>_<)コワイッ!
ご予約の方とフリーの方では接客やお料理に不公平があるとでも思われるのでしょうか?大切なお客様に上下は付けません、なぜたった一つの質問を投げかけるだけでひがみ?不機嫌になるのか理解に苦しみます、お名前聞いても怒られそうです・・・そういえば忙しく電話がつながりにくい時、満席でフル回転で一心不乱に働いているときツカツカと待合室からやはり女性がにじり寄り『フリーダイヤルのほうは無料だから電話がつながらないわけ?』とわけのわからないことを聞かれあまりの発想の飛躍にびっくりしたことがあります、そんなこと考えもしなかった・・・同じですよ同じ電話にかかってくるんですから。
ご案内のときにほんのわずかでも立ち止まっているのがイヤなのでしょうか?
昔はよくズカズカ(ゴメンナサイ!)入ってきてスタッフが気がつく暇も無いくらいすばやく&勝手に座ってしまっているお客様が多かったのです、しかも他のお客様の予約のセットをしてあるお席に・・・それで結局はまた移動する破目になるのです、任せていただければその方が一番楽しめる最高のお席をご用意しますがこうなるとはじめからシステムが崩れお客様をカイテキにする装置としてのレストランは機能しません。

《レストランの入り口に立つピシッと決めたギャルソンに名前を告げると、彼はノートを確認し親しみを込めた笑顔をこちらに向けながら、うやうやしくリザーブされている私の座るべき客席に案内してくれる、通路を歩きながらゆるやかにながれるお店の風景やグラスやナイフやフォークの奏でるかわいらしい音に祝福され、優しく鼻腔を刺激するかぐわしい香りにいったいこれからどんな楽しいことがおきるのだろうか、否が応でも期待は高まる、やがてリザーブされた席につくと椅子が引かれゆっくり腰を沈める!たとえようもないゆったりとリラックスしたキモチになり日常のこまごました一切のことが空の彼方に消えてゆくよう・・》なんていうのがレストランの正のイメージではないのでしょうか?
負のイメージを持ってしまい色眼鏡で斜めに見られるといいところも色あせて見え気づかず・・というものだと思います。
まるでお店のスタッフに噛み付きわざわざケンカを売っているようなものです、短気は損気!!
いちどそういう激しい負の感情を誰かにぶつけるとそのあとのお食事が美味しくなくなりそうですが、いつもそういうペースなので気にならないのでしょう!不思議〜
自分なら怒りや不満の感情を抱いたまま食事を楽しむのは無理ですけれど・・
これらの方はほとんど人生経験豊富そうな大人以上の女性です、内輪では盛り上がっているように見えても何故か物悲しく、当然シアワセな食事風景には見えません。
私たちはそういうヤな流れにならないようスムーズに仕事を進めるのが当然の技術・心得ですが、予約かどうかは最低限お聞きしないと仕事になりませんが相手からすればココはいちいち予約をしなければならないような面倒くさい店なのか?ということなのでしょう・・・たとえばホテルは堅苦しい場所と勝手に思い込み、ホテルを待ち合わせの場所やいろんな機能の詰まった便利な公共の場所と思えない方々です、jホテルは本当に堅苦しい?レストランの従業員はお客様である私がホントは嫌い?それとも好き?その辺からじっくり見極めていただいたうえでお付き合いいただけると一生の間、お互いに無くてはならない関係になれます、それこそ食文化なのですが、面倒くさいことはすべからくなし!痛みも無い苦痛も無いコンビニエンス(=便利な)な世の中、それをさせない何かが今の日本にはありそうです、他人のコを叱るおばさんがいなくなって久しいこの国では、気に入らない他人は無視!です、一見楽な生き方ですね、でもそれじゃ大切なものは何ひとつ手に入りません!
レストランですから予約が入ればお席をおとりします、そのお客様が予約されお席をご用意している方か、フリーの方でこれからお席をご用意しなくてはいけない方かは見極める必要があります、もしその方だって予約したならば『予約した○○○よ!ちゃんとわかってね!』と思うコトでしょう、せっかく予約したのにスムーズに案内してもらったり『お待ちしておりました、こちらへどうぞお席にご案内します。』などそれらしい扱いを受けなければさみしいと思います、
 
◎ところで予約についてですが、
クローバーは完全予約制ではありませんがレストランを使いこなし本当にサイコウの時間を過ごしたければ、本来はお客様の意思で予約をして出かけるところだと思います、面倒くさくても一緒に食事をしてくれる方が大切なら予約すべきです、労力は必ず報われるでしょう、問題は日常的に世の中にそういう習慣がある方とまったく無い方が混在していることです。
予約をしない方は予約をする方の考えや生き方(必要性やメリット)をまるで無視していることです(なぜ無視かって断言できるのかといいますと、結婚式や大切な会合は予約することの必要性はご存知でしょうから・・・)レストランで美味しい料理と気持ちのいい接客を適当な値段で提供しているお店は人気もあるでしょうから、その素敵なお店のお気に入りの席が取れればうれしいですし気持ちのイイひと時を過ごせると思います、
予約をしないでふらっと気軽に食事に行きたい!これも本音、正しいです。
そして座れるかなぁ?待つのかなぁ?と不安だらけで訪れるのはイヤだからと席をばっちりリザーブして出かけたい、これも本音、体調や予定、その他もろもろでいろんな使い方がある、そう柔軟な思考でいてもらえたら・・その方の人生ももっと楽しめると思います。
日本人はあっち側のヒト(自分とは主義主張が違うヒト)に対し、
いともたやすく、まるではじめから存在しないかのように振舞えます、これは多民族国家や多宗教の国ではありえません、無視は明らかな悪意、、戦争になります。お互いを尊重し・・そんちょうですよソンチョウ!認め・尊敬して重んじることです、あのヒトはそういうヒトだからほっとけば・・と良く考えもせず投げてしまうのとは違います。
キチンと予約し予定通りコトが進む気持ちのよさ、逆に行き当たりばったりに旅をする気楽さ、気楽ゆえの楽しさ(予約を取る意識のはじめから無いヒトが旅上手の可能性はかなり低そうですが・・・)はどちらも大切でシチュエーションに合わせどちらも柔軟にそして一生懸命工夫して楽しむのが大人です。
ながながと書きましたが、席につくなりメニューも見ずにお仲間に『なに食べるの?』と真顔で聞いてしまう方『まだメニュー見てないよ!』などと言われても意に介さない様子、また座るなり・・やはりメニューは開かずに無表情に『ここは何がおすすめ?』と質問する方そしてお勧めしてもかならずそれとは違う料理を頼む方は、他人を尊重し、他人を思いやり、相手の内なる見えない都合に思いをはせるこころの余裕がある素敵な人とは対極にいます。
その店を理解したいと真剣にメニューを食い入るように見つめることはかっこ悪いことなのでしょうか?食事を通じて自分のシアワセを追及するのは恥ずかしいことなのでしょうか?
これからも人生の中で何度も初めてのレストランを訪れることでしょう、その度・何度でもビギナーからスタートでいいじゃないですか!レストランは何度も足を運んで初めて自分のものになるもの、こちらもご来店の初めからが物語の始まり、長いお付き合い・そして時間の経過に風化しないクオリティや情熱を心がけています、家族や親友のように長い熟成の時間があったらばこその深いつながり、それができる店がレストラン(元気になる薬)です

ただ運悪くレストランで温かいもてなしを受けたことが無くさみしい方、レストランに期待していない方、それゆえひがみっぽいお客様に見える場合につきましては全身全霊で尽くしレストランの本当のよさ・人と人とのつながりのシアワセを啓蒙しちゃいます。




○トイレットペーパーホルダーの巻き○

クローバーのトイレットペーパーホルダーは2代目です。
最初に付いてたブルーのプラスティック製のホルダーがイヤで
ずっと我慢していましたが、これっ!というものがなかなか見つからず3年経ちとうとう我慢も限界のころ愛着のわくものにやっと出会え交換しました。
茨城県ひたちなか市のジョイフル本田2F、JOYFUL2で買ってきたものでイギリスのアンティークです、本国ではロールの直径と
幅が一回り以上狭いらしく、日本のロールを入れるとキツキツで全然回らないのです、そこでクルマのパンタグラフジャッキ!で
キリキリと横幅を広げて(いくら真ちゅう製で柔らかい素材とはいえ壊れやしないかとドキドキでした)むりやりロールを収め
余っている木材をジグソーでカットし磨きオイルステインと
ニスで仕上げ最後に大理石の壁にコンクリートドリルで穴を開けネジ止めして出来上がり!

とここまではいいのですが、
よく巷にあるホルダーは異様にクルクル良く回り、思い切り引けば5メートルくらいは簡単に出てくるようなカンジです、ところがこの真鍮のホルダーは改造したものの明らかに小さく、特に使い始めの直径が大きいときはぶつかって回りません、紙を引っ張るとプツプツ切れてしまい、丁寧に面倒を見てまわさないとちぎれた紙だらけになる代物です、当然お客様も使いづらいなぁ!と思っているに違いありません、家ではクルクル軽快に回るのですから!お子様ならなおさら苦戦するでしょう・・
が、しかしです何故私はそれをそのまま使い続けるのでしょうか?せっかく高いものを買ってきて使えないのはしゃくにさわるし、意地で使い続けている自己満足でしょうか?いいえ違います!いつもいつもスタッフにはお客様がカイテキなように、自分を犠牲にしてご奉仕するよう教えます、スタッフもたしかにカッコはイイけど使いづらい!わりと否定的です、
しかしここに現代日本の落とし穴があります、買ってきたものを無駄にせず、工夫して使うヒトには偉いぞ!というリスペクトが世の中には必要です、安くて(ここがポイント?)色気も無く見ていても嬉しくもなんとも無い、ただただ新しい便利な?モノを買ってきてポンッ!と取り替える、それが当たり前と思ったり、お客様がこれを捨ててもっと機能的(なだけで味が無くつまんないホルダー)なプラスティックのホルダーを買ってきてくれと要求したり、お客に使いづらいものもってくんな!なんて思ったら黄色信号です。まず目の前にあるものを捨てることへの抵抗がないわけです、ついでに愛着のわくデザインなどや職人の魂のこもったモノへのこだわりも無いわけです。実際自分自身始めのプラスティックのホルダーはお役御免にしたわけです、まだ使えるのに!でも心の中でごめんよ!と叫んでいました、始めにいいデザインの物が見つかっていれば、無駄にすることはありませんでした、しかしそのときには出会えなかったのです、
そのかわり、どこで売っているか見つけたからには『次に店舗を作るときや自分が作った家には、もう絶対に既製品のどうでもいやつはつけません』と誓いました、そしてこの真ちゅう製のホルダーをこれから何10年も使い続けます!その時には割れたり傷ついて汚かったりプラスティックのホルダーは何個目なのでしょうか?真ちゅう製のホルダーはクローバーに来るまでずいぶん時間が経っていそうです、しかしまだまだ魅力的です、古くなればなっただけ味が出て魅力が増しそうです、そう考えると替えるしかなかったも言えます、トイレ改造計画へJUMP!そして一番大切なことは・・・なんでも面倒くさい面倒くさいとはまるでコドモのようです、そんなに面倒くさいなら息をするのもやめたら?と言いたくなります!それよりも『ちっとはましな金具をつけたり気の利いた調度品をおきなよ、お金かけなくたってさ工夫すればいいんだから、こんな既製品で満足してるんじゃ、あんたら料理もサービスもこだわりが無いんだな!スタイルってモンが無いんだな?』それがお客様のレストランに対する意識じゃないでしょうか?レストランには美味しい気持ちが良く食事ができるサービスがあるほかに非日常を演出する小道具その他が必要なのです。
自分も含めあわててるとき忙しいときプツプツ切れるトイレットペーパーは困ります、でもその瞬間、何をあせっているんだろう?
食事に・遊びに来ているのにゆっくり紙を取り出す時間も無いのか?ほんの少し面倒を見ればほら!ちゃんと使えるのに、カリカリして・・そうか自分はこの忙しい世の中で自分のペースで生きれてないんだな・・ヒトに合わせたり周りのペースを気遣うことは必要だけど、どんどん弾みがついて自分らしさや人間らしさを失うほどのペースになっていたこれじゃ自分も納得できる人生じゃないし回りもシアワセにはできない、もっと大切なことや美味しいものはは納得するまでゆっくり味わいたいしそんな生活を目指したいそう気づくと思います、人生に大切なものってそんなに多くは無いのです、取捨選択し大切なものにじっくり向き合わないと人生のシアワセを逃します、すごい量が氾濫しているその他大勢のあんまり大切じゃない事に目を奪われ大切なものを見落としそうです。また本当にタイセツなモノは目じゃなくてココロで感じるもの、ご注意を!

ちなみに・・件のホルダーのそばにやはり手作りの棚がありトイレットペーパーが2つ予備として置いてあります、要領のいい方や急ぐ方はそれを手に取りこちらからクルクルと使われているようです、毎日5分の一位は減っているので・・そしてその細くやせたペーパーをホルダーにセットすると真に具合がいいのです、これこそもちつもたれつ・・でもきっとその方もたまには雰囲気のある?真鍮のホルダーから紙を取り出してくれてます、急がないときは・・きっと。