テーブルマナー

まず初めにマナーとエチケットの違いは何でしょうか?

  マナーは‘作法’つまりどのように振舞うか?です。
  エチケットとは‘気配り’のこと、常識人として、一人前の人として周りに絶えず意識を向け、一緒にいる人すべてが快適に楽しく過ごせる様‘積極的に工夫する事‘です、これが無意識のうちに自然とできればすてきな人になれるはず。 心のないうわべだけのマナーは意味がありません!

 さてここでお話しするマナーとはレストランでのマナーです、お金を払いその対価に見合う満足を得るホテルや街場のレストランのお話です、

 大統領や天皇家、総理大臣などが主催するプロトコール〈最高儀礼〉はまた違う別の観点が必要なので、まずはホテルやレストランで楽しいひとときを過ごせるようなすてきな立ち居振舞いのこととさせていただきます。しかし一般にいわれているテーブルマナーは現実とはかなりかけ離れているものです、長い間に変わってしまったものや明治維新の頃から西洋の食文化の導入が始まりましたが、まずフランス語どころか英語もままならない状況の中たくさんの間違いや勘違いを正しい・絶対的なものとして広めてしまった背景を理解してください、しかもいまでもそれがまかり通っています、ホテルやレストランの都合を上手くマナーというオブラートに包んでお客様に押し付けたものも多々あります。

 はっきり言ってマナーは生き物!時代を映す鏡であり日々変わってゆきます、たとえば、各国の大使館付きのシェフ同士は当然、首相や大統領、大臣などの食の好みや健康状態、アレルギーや習慣にいたるまで情報を交換します、時には会合なども行い、料理の提供の仕方、サービスの細かい部分の議論などをし最もよい姿を追求しています、ここで決まったこと・話し合われたことが最良のマナーとして影響していくのは当然でひとつの素晴らしいお手本です、しかし、各国首脳が集まるようなパーティーや皇族のかたのパーティーと街場のレストランやカフェでのマナーが同じはずがありません。

 ときにはあなたの考えが一番よいマナーだったりします、食事は時間・メンバー・場所で状況が変わりこれが絶対ということはないのですから!基本を身につけることは必要条件ですが臨機応変に気配りの心で柔軟に応用していくのが素敵なのです、あくまでもその場の雰囲気を守るのでは不十分でありすすんで盛り上げる義務があるのです、みんなで力を合わせ自分から積極的に楽しみ周りも楽しくさせてしまうそんな素敵な世の中にしてみませんか?

 ここでもうひとつ、どうもみなさんは決まりや法律がきらいなようですがこれが間違いです、決め事・ルールというのは皆さん自身のためにあるのです!実感できていますか?
“これとこれをやってはいけない”など決まりからはみ出さず、守ることが目的になっていませんか、違うんです!決まりというものはこれを守れば自由にしていいからあとは勝手にどんどん良くしてください、自分の住む世の中ですよね!というものですから、認めてもらった自由で何をするかそれが肝心です!
かっこよくいきましょう!自由はあなたの中にあります。

そろそろ実践編

意外と出来ないのが椅子にきちんと座ること、浅く座って椅子が後ろに飛び出ているのは見た目も悪いですし、サービスがしづらいというかできません。サービスを受ける気持ちがないと解釈されてしまいます、ここが気配りですね、レストランのスタッフに気持ちよく、心から自分を満足させ幸せにしてもらうために頑張ってもらわないと!そうでしょう!

 椅子を引いてもらったら椅子の左から入り(右側は大切な方のために空けておくという考えのため)テーブルに体を近づけて待つ、ふくらはぎあたりに椅子の気配を感じたらゆっくり腰を落とす、ただこれだけ!しかしごく自然にスマートに行動するのは意外と難しいものです。サービスを受けなれているというかこの辺がスタイルとして定着すると日本人も海外などで日本の人は素敵な人々と映るのですが、みなさん是非お願いします、上着を脱ぐ時などお手伝いさせていただきますが預けてハンガーにかけてもらうのがあたりまえと考えてください、帰りに上着を着せてもらうのもその方がスムーズでみているほかの方も気持ちが良いからです、変な遠慮が一番かっこ悪いものですから:映画でも登場する時、また去る時が見せ場です素敵な大人の男や女を演じるのも社会的なマナーからすれば義務かもしれません。
 そうそう、それ以前の話ですが席に御案内するとき女性を先に歩かせてあげられる男性がいいですね、だめですよずかずか先にたって歩いてちゃっかり自分がいい方の席に座っては!レディーファーストです。
 よくレストランの内装には鏡が多く使われますがこんな理由もあります、
上席で女性が壁を背にして店内を良く見渡せるように座ると男性は視界が狭く女性のほうしか見えません、しかしそれでは男性がつまらない場合もあるので鏡の登場!鏡に映る風景やまわりの席の他の女性などチラチラ見れば見るほど目の前の女性は自分のことを見てくれているように感じ気分がよいのです、
まさに一石二鳥!

 もうひとつレストランの夜の必殺兵器がキャンドル、女性の肌を白く透きとおるように見せます、もちろん安らぎを与えたり、原始時代からの火と人との関係を思い起こさるような郷愁を感じたりどんなに小さい炎でも不思議な力があります、二人でひとつの炎を見つめるなんてやっぱりいい絵になりますね。

 世の中を渡りながらみなさんいろいろな苦労があるとおもいます、しかしそんな人生の機微を知る大人こそレストランの主役なのです、私が心から幸せを願わずにいられない愛すべき方々へ、レストランはあなたのため今日も扉を開きます、どうぞあなたの魅力を思う存分発揮して主役たるあなたが輝くようこの舞台を活用してください、楽しい人生を送るために。

かなりやる気が出てきた頃だと思いますがここでナプキンのお話し

ナプキンは少し難しいです、本を読むといろいろ書いてあります。

 そこで私のおすすめは60センチ角以上のものでしたら二つ折りにするやりかたです

 一重のほうを相手のほうに向け〈折り目正しく綺麗な方を相手に〉ひざの上にのせ、口を拭くときは二重になっているナプキンの上側の内側を使うと拭いた汚れで自分の服を汚すこともありませんしスマートに見えます、あとは口にナプキンを持っていくのであり、鳥みたいに顔を突き出さないように背筋はいつもまっすぐに!意外とそんなことがおしゃれに見えるかどうかの分かれ目です。

 広げるタイミングは招かれた場合は主の広げた後、料理や飲み物が来る前、着席するなり広げるのは止めましょう、間というものがその場の空気を決めます。ここがさりげなく空気を読むところ、特別に意識しなくても出来るのが大人です。
また
レストランでは自分のハンカチを使うと、この店のナプキンは衛生的でないので使えないと言う意味になるので注意(和の世界に懐紙というものがあり和服の袖口に和紙を何枚か用意し、口元をおさえたり、茶の席での菓子を持ち帰る包み紙にしたりという習慣があるせいか、食事のときでもハンカチを持つのがマナーのような風習があるので、つい店のものを汚さずに自分のものを使うのが身だしなみとか上品などと思いがちですね、ただ欧米の女性もハンカチくらい持ち歩いていますよ、あなたのハンカチは意外と輸入品の有名ブランドのものではないでしょうか?

注)一度席についたら中座しないほうが好ましいが、もし中座するときは椅子の上に簡単に折りたたんで載せておく。?まだ帰りませんの意味

 食事を終え席を立つときは簡単にたたんでテーブルの上に!この時きちんとたたみ過ぎると料理が満足できなかったと言うメッセージになるので注意。(くしゃくしゃにたたむのとは違います、勘違いしないでください)

 いろんな人がいろんなことを教えています、それを頭に入れておけば、自分と違うやり方を見て自信がゆらいだり、恥ずかしがる必要はありませんひとつに決めるのは無理があるのです、自分が納得できるものを選べばいいのです、ただ他人に指摘されたとき「自分はこう考える」というあなたの考えを示すのは礼儀であり、そのためにも必要なマナーは知るべきです、そして基本をアレンジしあなたなりのオリジナリティーが出せれば合格です。

そして見せられる自分であるために広く世の中を知る努力は必要です、好奇心を眠らせずに!少年・少女の心をいつまでも持っていてください。

ナイフ・フォークについて

 まず、なぜ日本人のフランス料理に対するイメージはは堅苦しい、マナーがうるさい特別なものになってしまったのでしょうか?

 簡単に言うとホテル・レストランの都合ですね、日本では明治の開国の時に欧米式のパーティー、欧米風の社交界を作り出す必要に迫られたのです、烈強各国に追いつき加えてもらうための国策として鹿鳴館を始め各地に洋館を建設して欧米文化の導入を急ぎました、顧みれば仕方ないとも思えますがこの時に異端の国・和洋折衷の奇形児ニッポンは産み落とされたのでした、極端ニッポン、流行がコロコロ変わる、他人からどう見えるかばかり気になり中身は二の次のニッポン!その芽が少しずつ成長し、敗戦を機に決定的なものとなったのです。

 この歴史がまたホテル・レストランの本来の姿から離れてしまった、不幸な歴史にぴったり重なってきます、まずフランスなど、大衆のまたは家庭のフランス料理を下地にその集大成として昇華させた国家行事のパーティー、舞踏会、国賓を招いたパーティーなどのプロトコール〈最高儀礼〉など確かに仰々しく、華やかな世界が存在しますがその特殊な世界を、欧米風のマナーはこれがスタンダードであり唯一無二のものであるみんな良く覚え真似するように!と、完全に欧米の文化を理解する前に間違った知識を普及させてしまった、また正しいことも歪んで伝わってしまった事が後々日本人のライフスタイルにまで影を落とすのです。

 日本人すべてが毎日会席料理や伝統料理を食べていないように、フランス人が毎日豪華なコース料理を食べているわけがないし、普段は意外なほど質素、レストランでもコース〈定食〉よりアラカルト〈一品料理〉の方が好みであり、メインの料理を食前酒を楽しみながら時間をかけて選び、これまた慎重に選んだワインとともにじっくり味わう、支払う額に見合う楽しみをしっかり味わい尽くす、ケチで通るフランス人ならあたりまえ、いや何処の国の人だろうとあたりまえ、しかし言われてそうだよねと思うものでも当時の日本でこれをされたら?

 まず横文字がチンプンカンプンなところにきて見るもの聞くもの初めてづくし

 これはかなりまずい状況、もしあなたがレストランの従業員で南アメリカのスペイン語あたりを話す国の方から会席料理の作法を教えてくれといわれても、オーダーをとるだけでも何時間かかるか分かりませんね、だから当時の日本のフレンチレストランでもコースで頼めば話が早い、しかもフランス語〈たとえ日本語表記であったとしても〉とにらめっこせずにすむと、レストランとお客さまの利益が一致しました、これ幸いとじっくりメニューを検討する時間を与えず、たくさんの皿数の出るコースはより豪華でお得ですよとまずはフレンチの普及を図り調理場の効率化を図るため、コースをメインに据えたのは想像に難くありません、これ自体は悪いことではありませんがお客さま不在の発想です、ひとりよがりの商道主義と思い込みの激しさで、ずらっと銀器のならぶフルコースが究極であり、豪華に見える物が偉いというイメージを大衆に植え付けてしまった、これが大きな大きなバツです、始めは慣れないお客さまへの心配りだったのですが時が過ぎるにつれ先人の心を忘れ形骸化してしまいました、例えば披露宴などでナイフ・フォークがこれでもかと並んでいますが、あれはそうでもしないと何百人のナイフ・フォークをツーオーダーで料理にあわせてセットできないからであり、本当はその料理に必要なものしか置かなければ間違えることもないのです、つまりワンランク下のサービスなのです、ですからナイフ・フォークがわからなくて恥をかくのが嫌だからフランス料理はどうもとか披露宴などでナイフ・フォークが整然と並んでるのを見て臆する必要はありません、お客さまは何もしなくても快適にお食事できるようにサービスマンがいるのですから、例えば食事の終わったサインとしてナイフ・フォークを平行に揃えてお皿の上に置くという例のマナーにしてもお皿の上に料理もソースも残っていなければお下げしますし、料理が残っていてもしばらくそのままで召し上がる様子がなければ会話をしながらお客さまの意思を確かめお下げします,私たちがいつも見守っていますのでリラックスしていてください、お客様に私たちの仕事を手伝う義務はないのです、心得ている方はナイフを落とされても自分では拾いません、いち早く気付き拾い交換する私たちがいるからです、ささやかなことでもお客様に何かして差し上げられることが私たちサービスマンの喜びであり存在の意義なのです。

注:1)左利きの方はナイフを左にフォークを右に並べ替えますのでお申し付けください。

注:2)同席の方のためになるべく同じペースで食事をする配慮は必要です,そういった気配りが無理なくさりげなくできる人が素敵なのです。

注:3)一度に切り分けて右手にナイフを持ち替えて食べるのはカジュアルな場でしたらかまいませんが本来は肉汁や魚介の旨みがこぼれないようひとくちずつ切り分けてそのまま左手にフォークを持って口に運ぶのがエレガントであり料理も冷めにくく美味しさを損ないません。

注:4)話に夢中になりナイフを相手に向けたり振り回さないようにしてください、刃物には変わりありません。


     番外:日本の不思議編

 実は田舎から東京に行き先輩に言われたことがあります、「どうしてフォークの裏側にライスを載せてたべるわけ?フォークの形をみてごらん下からすくうような形だろう、例えばスコップの背中に土を乗せるのは変だし機能を無視してるよね?」可笑しそうに言われました。

 どうしてといわれてもそれがマナーであると子供の頃からしつけられたのです

 えっ違うの?そんな例がたくさんありました。

 どうしてこんなことになったのでしょうか?じつはフォークの背にライスを乗せるのは、イギリスで、お年寄りと上手にフォークを使えない子供がフォークの背に固めて落ちないようにライスを食べているのを見たある日本人がこれは粋だ、これがマナーなんだと勘違いして日本に伝えてしまったようです、確かに当時英語を正確に操れる人はまれでしょうし深く文化を理解するほどイギリスに住んだことのある人は存在せず視察と称して駆け足で上っ面、お年よりでも背筋をピンと貫禄のある長身の方が多い英国のこと、そう見えるシチュエーションが重なったのでしょう

ひとこと・・・

 料理の上げ下げのとき、お客様によっては気を使っていただくあまり時々体を振ってよけてしまわれる場合があるのですがお客様はそのままじっとしていてください、私たちも気をつけていますがぶつかる可能性があり危ないです、下げる時もお出しする時も右側からサービスします、これはアメリカ式のサービスなどで左から出して右から下げる所もあるようですが当店ではフランスの大使館に勤めている知人からの情報で右から出して右から下げています、ただ微妙に少しずつ違いますから柔軟に対応してください、繰り返しますが私たちはいつも空気のように自然にサービスしたいと願っています、あれっ?いつの間に料理が来たんだろうもしくはそれさえ意識されずに快適なお食事が進み、食事が終わる頃には何だかいつのまにか時間が過ぎていたね楽しい時間だった、また来たいね。そんなサービスをめざしています。

 次はスプーンです、イギリス式が手前から奥へすくいフランス式が奥から手前へすくいます、スープ皿を傾ける時は手前を持ち上げるのは共通です、あとスープを飲む時音をたてるのは欧米では嫌われます、子供の頃から厳しくしつけられているので想像以上です、そのせいか日本でそばをご馳走されてもズルズルすすりながら食べることに抵抗があるようでそば好きからは可哀想にと同情しきりです、、、どうしても美味しい食べ方とされているあのそばをたぐるのができないようです

 あるTV番組で見たのですが首だけは一生懸命上下に動かしながら無音でそばを食べている外国のかたをみかけました、懸命に音を出そうとすればするほどうまくできずに苦労していました。

 使い終わったスプーンは下皿の上に置いてください、ふたがついているような深いスープボウルの場合お下げする時ポロリと落ちることが多いので、そうしていただけると助かります。

 蛇足ながらスプーンをぺろんと舐めるのはもちろんNGです。

ここで寄り道!

 フランス料理が各国の正餐に取り入れられているので、世界中フランス料理が我が物顔で幅を利かせているようなイメージがありますが意外とその歴史は浅いのです、旧来のフランス料理は大皿でどーんと一度に全部ならべる出しっぱなしで、しかも手づかみでしたなんて信じられますか?

 いまのように一皿ずつ順番に出すようになったのは寒い国ロシアの大使のアドバイスでした、かの国では料理が寒さでどんどん冷めていきます、それなので器をあたため急いで盛り付けあつあつをテーブルに運びそのお皿が下がるのと入れ替わりですかさず次の料理をお出しするというスタイルを工夫していましたこれが今のコースのベースになりました、さらにナイフ・フォークにいたっては1533年のイタリアのメディチ家の娘カトリーヌ・ド・メディシスとフランス王アンリ2世の結婚まで待たねばなりません、これは当時絶大な権力を誇ったローマ教皇クレメンス7世の仲介による政略結婚でした。

 紀元前後から進んだ文明をもっていたローマ帝国をルーツに持つイタリアからすればフランスなど北方の野蛮な国でしかなかったのです、わがままいっぱいに育てられたカトリーヌが嫁ぐのを嫌がったのは想像に難くありません、妥協案としてカトリーヌは身の回りの次女・下男・お抱えの料理番・お菓子職人・パン職人・ダンスの先生から、家庭教師までおよそ考えつく限りの従者とともに〈入城したその数は二百人以上〉イタリアの洗練された文化をフランスに持ち込みました、この時の料理番がフランスの人々のあまりにもひどい食事のマナーに手を焼いて料理の作法を簡単に記したものが、後のテーブルマナーの基礎になったとされています、

 しかし当時のスプーンは先がふたまたで使いづらくルイ14世のときに手づかみに戻ったこともあったようですが、、、

 太陽王ルイ14世からフランス革命まで世界中の賢人・食べ物・財宝・商人・あらゆるものがヴェルサイユ宮殿に集まりました、そして革命を経てナポレオンの世界制覇の野望、二度の大戦そのなかでフランス人は絶えず美食への追求の手を緩めず近代フランス料理の祖エスコフィエを得、現代フランス料理の基礎を築いたポールボキューズ、20世紀最大の、否、歴史上最高の料理人ジョエル・ロブションなどを輩出し常に料理界のイニシアチブを握っていました、もとより合理的かつプライドが高く凝り性のフランス人気質はまさに料理や芸術をするために生まれてきたようなもの、各国のいい所を取り入れ最高を目指したフランス料理が世界中で正餐として採用されました。

 もちろんすべての庶民・農民が贅沢を享受していたわけではありませんが、ラテン気質ともいえる食の快楽の追求の気概は貧富の差を問わずフランス人の気質となりそれぞれできる範囲で食べること飲むことに人生の価値をみいだしてゆくのです、それがまた哲学や思想となり世界へ波及してゆきます。

 私たちがフランス料理に触れる時、フランスの思想や文化を避けて通れないのは、それらがフランスそのものを表現しまたそれはフランスの命だからです、命がけで守り築き上げたもの、私たちはそれに敬意をもって付き合う価値があると思います。

  もうひとつ寄り道!

 日本は独自の和食という食文化を持ちつつ正餐やテーブルマナーは英国式フランス料理という奇妙なことになっています、

 アメリカもアメリカ式フランス料理です、つまり欧米各国ともフランス料理を基本にアレンジを加え自国風の正餐を確立しています、しかし日本と違うのは欧米の文化のルーツがギリシャの古代文化やローマ帝国、ローマ法王と続くキリスト教による民衆支配にあるのでイエス・キリストの言う私の血であり肉であるワインとパンがキリスト教のミサに不可欠であり、各地に教会とセットで開墾されたブドウ畑の存在や大航海時代にもたらされたスパイス、酪農など共通の文化が多いためその食文化の融合のスムーズさはうなずけます、明治まで仏教の教義のため表向き乳製品のなかった日本はうまく食文化の融合ができずに困ったのでしょう(江戸時代の将軍は白酪という当時のチーズを強精剤として食べていたようですが。

 そして重要なのが明治の開国の混乱期です。
江戸を中心にイギリスが関東に、薩摩藩を中心にフランスが九州に、
近代化の技術供与のために駐留しましたが、
その他にも実に多くの国が日本に少なからず影響を与えています。
日本の植民地化は無理でも“自国の都合のいいお客さん”
に教育するため、英仏米など列強と呼ばれた諸国がビジネスで争っていました、
電気製品には使用する地域により50
Hz(ヘルツ)と60Hzを切り替えるスイッチのあるものがありますが
これは富士川が境界線になり東と西に分かれています。

東日本は東京:浅草に1895年にドイツのアルゲネ社製の50Hz交流発電機を使い火力発電所を建設するまでは直流を支持していましたが、西日本は当初より大阪電灯が当初アメリカのトムスン・ヒューストン社(後の米国GEが買収)の125Hz交流発電施設を建設し、その後1897年にGE(ゼネラル・エレクトリック社)の60Hz発電機を導入し、京都・神戸・名古屋と続々と60Hz発電機を導入した名残です、
開国直後の入り乱れた列強の日本への進出に従いイギリス系の文化、フランス系の文化、アメリカ系の文化、
ドイツ系の文化など今はそのルーツをすっかり忘れていますが、
文化や工業の規格などそれぞれ各分野で今でも見えない影響を受けています。

パンの話

 フランス料理に不可欠なフランスパン、レストランで出されるのは大体細長いバゲットかパリジャンをカットしたものでしょう、しかし同じ生地でも重さと長さ形の違いで名称が変わりそしてそれにより水分の抜け具合、皮〈クラスト〉の厚さ、皮と中身の比率などさまざまな味わいの変化が生まれます、小麦粉と水,酵母,塩だけしか使わないのにこの不思議、奥が深いですねちなみにあの皮の美味しそうな深いきつね色は高温と蒸気と時間の介在により残糖分がキャラメル化(焦げた)したもの、そして小麦粉のたんぱく質がメイラード反応によりアミノ酸に変わり独特の皮にしかない旨みをつくりあげます。


 パンはたいていオードブルが出たら運ばれてきます、おかわりは自由です。
 パンのお皿が左にありますので,パンをサーブされたら素手で受け取りお皿の上に置き、お皿の上でひとくちずつちぎって口に運びます、テーブルの上にパン屑が落ちるのは気にせずにかまいません,料理のソースをパンでぬぐうのはOKです,料理やワインの次の一口のため口の中をさっぱりさせたり、ソースの味をそのまま味わうためにもシンプルでプレーンなフランスパンは無くてはならないものです、しかしスープにパンを浸したりスープの残りをパンでぬぐうのはNGです。

 ちなみに日本ではパンを温めなおして提供しますがフランスではそのままですずいぶん感覚が違いますね,ましてや焼きそばパンなどの感覚は絶対に理解されません。

 文化の正しい理解には時間がかかります例えば日本の寿司も全世界に広まる勢いですがやはり日本での食べ方とはずいぶん違うようです、まだファッションやヘルシーフードとしての流行でしかなく文化として寿司の側面に注目されるのはまだまだあとでしょう,逆に見れば日本のフランス料理の現状もうなずけます、しかしグルメブームや海外旅行の経験が増えるとともに、好きな食べ物の真実の姿を知りたい人々の数は確実に増えつづけ、ワインや料理に対し本物志向のお客様が増加しています,大都市のスーパーに行けば世界中の食材が日本に集まっていることが実感できるでしょう。

 ぜひその国の料理やお酒を通じて自分たち以外の国の人々の暮らし方・考え方に触れ、広い視野と他の国に思いをはせ理解しようとする好奇心・真実を求める心の自由を手に入れてください。

 自分の国のことだけを考えていられる時代は終わりです、いえ始めからなかったのですが島国ゆえ自分たちの殻に閉じこもりがちでした、しかし地球人としての見地からの意見・考えがこれからは求められます、お互い言われる前に察して相手の立場を思いやるこころがなにより大切です、まさにレストランでのマナーと同じ視点です、合い通じるものがありますね、これは人にしかできない素晴らしいこころのはたらきです。

感覚の違い

 みなさんの意識の中に『他人に迷惑をかけないのが大人』という感覚があると思いますが食事の時はべつです、食事の時同席の方に(たとえ初対面の方でも)塩コショウでも何でも良いですが何かを取っていただくのが悪いと思う方が多いようですがそれより相手の目の前をさえぎり不愉快な思いをさせるなら、お願いしてとっていただいた方がずっと良いと思いませんか?

 第一頼まれれば嬉しいと思いますし、喜んで取ってくれます迷惑だなんて思いません、他人とかかわる事を楽しんでください。

 フランス人には共食(ゴロワーズ)という意識があります、美味しい食べ物・楽しい時間・充実した時間を気の合う人々とともにわけあう意識です。

 なにしろフランス国旗の青・白・赤自由・平等・博愛を意味するのですから、人生一人では何もできないし人と人のかかわりが人生の醍醐味と知っているのです。

グラスの持ち方

 ワイングラスにはステム()があるのでそこを持ちます、グラスに指紋を付けたり、口紅をつけてしまうとワインの輝き・色調を目で味わう楽しみを損なうことになります、またソムリエがワインの熟成や色調をより詳しく調べる目的でグラスを深く傾けエッヂ(ワインの端)を観察するためにグラスのディスク(円盤状の底)をもつこのしぐさを安易に真似しないほうが良いと思います、これは立ったまま少量ずつのワインをテイスティングするために都合の良いスタイルというだけです、ステムの長いグラスで適量を注いだ状態では頭が重く不安定になります、着席中はしっかりステムを持って飲みましょう(小指は立てないで!?昔、スパイスが金より高価な時代に小指と親指でスパイス入れからスパイスを取り出すために普段は小指を汚さないように立てておいた事が、現在では上品ぶって嫌味である代名詞になってしまっています、ヨーロッパでこれをすると『おまえは貴族か?』とからかわれてしまいます。)

 他のゴブレットなども同じです、ワインを注がれるときグラスを持って受ける必要もありません、脚のおかげである程度の高さがあるのでそのままで注げます、日本では江戸時代までガラスが珍しいものであり一般に普及しなかったので陶器であるため技術的に細い脚が作れなかった盃は持ち上げないと注ぎづらいのです、そして私達がワインのボトルがグラスに触らないようそっとおつぎするときお客様の持ったグラスはふるえてしまう事が多く逆に注ぎづらいですしスマートではありません。

 ところで日本にはベくはいという底のとがった円錐状の盃がありますこれは置くと倒れてしまいます、侍同士さしで飲む時右手にべくはい、左手に徳利を持ち注ぎあうわけですが必然的に両手がふさがるので刀を抜けません、酔ったすきにいきなり切りつけられる心配が無く安心できます、同じようにヨーロッパではテーブルの上に両手を置き常に相手に見えるようにします、ただアメリカでは必要の無い時両手をテーブルの下に置くよう教えられるそうです。

ワインについてのあれこれ

 ワインについてあれこれ難しく考えるのはやめましょう、フランス人特に一昔前のフランス人は確かに毎日たくさんのワインを飲んでいました、しかし農業国ですから一般の人々に所得がそんなにあるわけではありません、ですから大きなビンやかめなどでまとめ買いをします、すると一本あたり数十円でワインが楽しめたりします、ただ日本に輸入されているワインは一般的なフランス人の飲んでいる日常ワインのはるか上のクラスであり特別なワインだということを忘れないでください、つまり今日本で言うワインのある暮らしとは日常的に飲んでいるワインの価格の点で相当違います、その土地で生まれその土地のワインしか飲んだことが無く自分のところのワインが一番だと思っている人がそれで十分だと信じて疑わない人がワインの産地にはたくさんいます、もちろんパリ・ロンドン・ニューヨーク・東京など大都市にはたくさんのワインマニアがいますし、そういう方がフランスワインの質の向上におおきな役割を果たしているのは事実です、しかしワインとは決して高級なものではなく生活に密着したものフランス料理と不可分の、いうなればフランス人自身と運命共同体ともいえる関係なのです。

 ここで少し中世に戻ります、中世に大流行したペスト《黒死病》や衛生の諸問題にもかんけいしますが

 みなさんご存知のとおりヨーロッパでは生水がお金を払わないと手に入らない場所が多いと言う事実があります、実際ワインのほうがずっと安いのです、また中世の頃はペストの恐怖により、葡萄の樹が浄化してくれた果汁を発酵させたワインを飲むことが安全に水分を摂取できる手軽な方法でした、そのころのワインは技術が低いためかなり酸味が強くそれ自体大量に飲むのは難しく、甘味がありこってりした料理が必要でした、そうですクラシックな重いフランス料理はすっぱく不完全な飲み物であるワインのために工夫されていったのです、ワインのために料理が、料理のためにワインがマリアージュ『結婚料理とワインを合わせること』されるその歴史がまさにここからスタートしました。

テイスティング

 テスト『試す』ではなくテイスト『味わう』です、このテイスティングについて誤解が多いようです、ワインを直接注文していただいた方がその場でのホスト役になります、これはみんなのために選んだワインが正しい保存がされて本来の品質を保っているか?温度が適当かなど責任を持って味見するということです、少量おつぎしますので異常がなくOKでしたら軽くうなずくか『結構です』『美味しいです』などと言っていただければ右側の女性から順番に皆様におつぎいたします、このお話をすると眉をしかめる方が多いのですが中世では親子でさえ毒殺が多かったのでその毒味などと言う背景もあります、そのため毒に触れると色の変わる銀の杯が使われた歴史もありますが物騒な話ですね、万が一ワインが傷んでいても(私たちがコルクを抜いたときコルクの匂いを嗅ぎ痛んだワインに特有の揮発性の香りをチェックしますので痛んだものがお客様のお口に入ることはありません、その意味において今では形骸的に儀式のようなものになっていますが省略せずに残したいものです、店側も常にお客様の厳しい目で試されているという緊張感をもち続け常によりよいサービスのため努力する姿勢の現われとしても、なくてはならないレストランの風景だと思いますお金を支払うことに無頓着にならずに代金に見合うそしてそれ以上のしあわせを味わう権利をレストランに対して強く要求していただきレストランは全力でそれに応えるそんな関係を築いてこそ『食は文化』といえるのではないでしょうか?

 よく質問されるのがもし口に合わなければ取り替えてくれるのか?ということについてです、これは基本的にNOです、もちろん保存が悪く品質に異常があるとき、本来の味わいでない時これは当然返品できます、それから温度が適当でない時にワインクーラーで冷やしてもらうなど温度調節のリクエストはOKです、しかし事前にワイン担当者と相談し納得し抜詮した場合、勘違いし違うものをオーダーしてしまった、ただ単に想像と違っていた、渋いのがいいと伝えたがやはり飲んでみたら気が変わり軽めのワインにしたくなったなどというのはやはりお取替えしかねます、温度の調節はもちろん人により美味しく感じる温度があるので調整します、まだ若く渋みがまろやかになる前のワインを選ばれた場合、空気を激しく混ぜ合わせ酸化を促し香りを立たせ渋みを目立たなくするためのトランスバーゼ(優しく移しかえ澱を取り除くデキャンタージュに対し高いところから勢いよく注ぎ空気をよく含ませる方法。)を行うなど工夫します、そして万が一ワイン担当者の経験不足・明らかな選択ミスの場合、当然レストランの責任としてお取替えします。

 私達は抜詮した後コルクをお客様のお手元に置きますがこのときチェックするのはコルクのビンの中に入っていた部分の状態だけでOKです、ワインは横にして保存しないとコルクがワインに接しないため乾燥し本来のふたの機能を果たせなくなります、葡萄の収穫の年号とコルクへのワインの染み込み具合などからそのワインがいままで置かれていた環境が想像できます、お客様の場合はコルクが濡れていることを確認できればまず大きな問題はないと思っていただいてかまいません、プロの場合それからの保存を考えます(熟成のためワインセラーに寝かせるべきか、今すぐもしくは一・二年のうちに飲むべきかなど)ワインは市場に出回り始める時はまだ完成された商品でなく飲み手(買い手)が育み完成させるという権利(義務?)をも同時に手に入れるという側面を持っています、そしてそれを喜んで買うというかなり珍しい飲み物です。

 ワインによってはコルクにシャトーやドメーヌのシンボルの刻印があったり、秀逸なデザインであったり遊び心があるものが多くフランス人のセンスのよさを感じます、細かいところまでこだわるその姿勢にワイン作りに対する誇りを感じます。

 ちなみにコルク栓は結構コストがかかりテーブルワインなど中身のワインよりコルクのほうが値段が高いこともあります。

 ところで昔はワインを樽で売り買いしていました、当然品質は不安定で酸化しやすく樽ごとの違いも大きく流通にも気を遣いました、15世紀にイギリス人がガラス瓶とコルク栓を実用化し、輸出・流通・保存・ビン熟成など革命的変化をもたらし現在のワイン産業の基礎が確立されました。

旅するワイン

 先ほどのワインのコルクの話に関係しますがワインというものはいたみやすいものなのです、よく『海外旅行の時に現地で飲んだワインは美味しかったが、同じワインを日本に帰って探して飲むとそれほどでもなく、あまつさえお土産で持ち帰ったおなじワインまでがいまいち美味しくない。』

 などという話を聞きますがまず、その土地の気候、温度や湿度そして土地の料理との相性のよさ、旅行をしている高揚感などの相乗作用で美味しく感じるのは当然として、フランス国内でも遠くに行けばいくほど振動や温度変化で微妙に味は変わりますし、ましてや船便で一ヶ月も旅をしたワインは醸造もとのカーブ(貯蔵庫)にそっと寝かせてあるワインとは確実に違います、北半球はまだましでチリなど南半球から赤道を越えてくるワインはかなりの温度変化にさらされ熟成のスピードが速まったり、風味が変化したり極端な高温にさらされたものは膨張し、コルクを押し上げもれてラベルを汚した痕があったり商品にならないものも存在します、ただ何事にも例外があり重めのワインをはやく飲み頃にするため船に乗せ戻ってきたものを売るということをした時代もありました、しかし現在では醸造の段階で熟成のスピードもより良くコントロールできるようになりましたので温度変化や振動などは百害あって一利なしです、特にテーブルワインなど長期の保存を考えずつくったものや軽めのワイン、樽を使わず樽のタンニン(ワインの渋みのもと・葡萄の皮の赤い色素に多く存在しワインを安定させ変質を防ぐ効果をもつ)の溶け込んでいないワイン、赤より白というように旅を苦手とするワインである可能性があります、なかなか試す機会はないと思いますが輸送のあとのワインは最悪の状態で一週間くらいかけて少しずつ回復し一ヶ月くらいかけて元の状態に近づいてゆきます。

 乱暴にされればなおさら丁寧に扱われたものとくらべ成長の仕方に差が出ますしひねくれたりもします、人為的な原因でそのワインの一生が決まってしまうのです、まさに赤ちゃんのようにデリケートでいたわり甲斐のある飲み物です、私たちも届いたばかりのワインは飲みごろであっても必ず休ませてからお出しします、まずはゆりかごの中で旅の疲れを癒してから!が基本です。

 最近は温度に神経を使う輸入業者がリーファーコンテナ(要するに冷蔵庫)使用ということを盛んにアピールしていますがそれとて船底の倉庫で積荷の移動をする際などに電源が抜かれたままであったり人任せですから絶対ではありません、

 今日本は一大ワイン消費国となりワイン文化も少しずつ根付きつつあります

 しかしワインはもっともっと生活をゆたかに、そして彩りを与えてくれるものです、さあ急いでも仕方ありません、ゆっくり人生を味わいながらワインと友達になり交友を深めていきませんか私たちと一緒に楽しく。

ワインを楽しむコツ

 ワインは全世界で十万種類以上もあり奥が深く探求しがいのある飲みものです、しかし面倒なことを抜きにして気軽に楽しめる飲み物でもあります、いろいろなシチュエーションに合わせるために十万種類以上ものワインがあります、きっとその場にふさわしい一本が見つかるはずです。

 楽しい食事というのはワインや料理が美味しいのはあたりまえで、その時の楽しい会話や恋人や家族そして友人との思い出のひと時のほうがワインの産地やぶどう品種より大切であり、薀蓄は知らないより知っていたほうが良いけれど、気の利いたエピソードでも知っていれば充分です。

 ただお金を使ってワインを飲むのですから対価に見合う満足を得るためにいくつかの簡単なポイントがありますのでこれは覚えたほうが良いと思います。     

気をつけるのはまずワインの温度!フランス・パリの気温というのは日本では北海道以北になります夏の平均最高気温が.17.5℃にしかならないのです、そして飲む時間も重要!これしか飲まないと決め付けずそして赤ワインにはまっているからと赤ばかりでなく、晴れた日の夕暮れに冷やしたロゼワインがとても合ったりや真夏日の夕暮れには夏バテした体にシャンパーニュが心地よく、食欲がわいたり、時には普段遠ざかっていた甘口のドイツの白ワインがとてもよかったり体調や気候、誰と飲むのかなどで状況に応じてワインを選ぶのもとても楽しいことですしどんぴしゃとシチュエーションにあったときは自分を誉めたくなり、またその造り手に感謝することでしょう、あとは早く飲めるのか熟成させる必要があるのかを間違えないことです。

 値段の手頃な日常ワインはフレッシュなうちに飲まれることを前提に作られているので店で買って家ですぐ開けてもそんなに問題はないと思いますが、たまには贅沢をしようかと高価なワインを買い求めたとき。

 たとえば当たり年のシャトー・マルゴー95‘を収穫の二年後に3万円で手に入れたとしますこれをその日のうちに飲んでしまうと、ただただ渋いだけであり2千円で買えるACブルゴーニュやACボルドーはたまた890円で買ったチリワインのほうが美味しいなんてことにもなってしまいます。

 ワインの専門家が将来性を占うために未熟なことを承知で、舌をしびれさすタンニンにそのワインの10年後20年後にあるべき素晴らしい姿を想像しながら、その日までワインの健康を守ってくれる(タンニンには防腐効果があり、熟成によりいろいろな成分が混じりあいまろやかになってゆく中でワインの骨格を作りワインの味わいに奥行きを与える)そのタンニンの強さに納得しながら飲むのならともかく飲むには早すぎると言えるでしょう、ただ“マルゴーを愛しているから毎年一本ずつ25年の成長をすべて味わいたいんだ”なんていう方はまた別です長期熟成型のワインを知りたければ十二本入りのケース買いで毎年一本開けるのも良い方法です。

 それから前に述べたように長い間輸送され疲れているワインをそのまま飲むのも本来の味わいを楽しめない理由になります、当日そして一週間後では明らかに味が違います、一ヵ月後にかなり回復しますが半年後に95%回復したとあとは完全には元に戻りません:その国でそのワインの作り手が管理するセラーやカーブ(セラーは飲み頃のワインを保存しておく所、カーブは貯蔵・熟成させる場所)のワインが本来の姿であり生まれた場所から遠く離れるほど品質は下がります。

※振動はワインにダメージを与えます

 冷蔵庫の中は一見理想的な保存場所のように思えますがモーターの振動という落とし穴があります、たかが振動というなかれ遠心分離機と同じ作用があり永い間にはワインの成分をすっかり分離させてしまいます、もちろん微小な振動を常に受けることは輸送されているのと同じでワインが疲れてしまいます、都心の一等地の大きな通りの交差点のすぐそばに店を構え地下にワインセラーをつくり2千万円ほどワインをストックしていたところ道路を走る車やトラック、バスなどの振動でワインがすっかりだめになってしまったなんていう笑えない話もあります。

 また直射日光はいうまでもなく室内や冷蔵庫の蛍光灯から発せられる1%の紫外線でも半年あれば品質をすっかり落とします、お客様から見えるセラーには紫外線防止フィルムを貼りたいものです。

※家での保存

 ご家庭で保存されるならまず新聞紙を一日分全部を使い、ワインのボトルをくるくる巻きます:こうすることで断熱と耐震の効果がありますそして押入の奥や他の食品は入れずに床下収納庫などふだん開け閉めをあまりしないところへそっと置いておけば十年や十五年は大丈夫ですただし14度ではあまり熟成が進まないのに対しそれ以上、例えば18度の保存環境と比べると倍以上の速度で熟成しますので注意が必要です。

 また匂いの強い味噌などと同居させるとその香りがしっかり移ってしまいます、ガレージにワインを置いておいたらガソリンや排ガス臭くなってしまった例がたくさんあります。

※ワインオープナー

 ソムリエナイフは高価なものは必要ありませんがてこの原理を使うわけですからスクリューとボトルのふちにかける金具との距離が長いものを選びましょう、2・3千円台ですと日本製でいいものがあります、またプロ用もしくはご家庭で一生ものとして選ぶ場合一万五千円くらいから三万円のものですと私が使っているシャトーラギオールの水牛ハンドルや、ライヨ−ルの水牛ハンドルがお勧めです、ただしシャトーラギオールの真鍮フレームの場合に限りやわらかい素材のため硬いコルクを無理にこじっているうちにスクリューが外れるケースが多いです、田崎真也モデルも要注意ですどちらも見た目は雰囲気最高なのですが、私は刃物やさんにこれはどこでも直せないといわれましたがカスタムナイフ用のボルトで直しましたこの方法ですと二度と外れません、もしあきらめている方がいましたらご相談ください。(clover4@fancy.ocn.ne.jp佐々木

※グラス

 グラスは意外とレストランでは高級品は使えずに業務用の普及品です、消耗品なので高いグラスはワインの価格に反映します、手頃な価格を実現するためにグラスに凝れないのが実情です、ただし割らなければ財産ですので《ご家庭で大切に使われるなら一客一万円のグラスでもグランヴァンを三万円ほどで発売時に安く買い20年後の記念日まで大切に保存し結婚記念やお子様の成人祝いに乾杯する》などという使い方に最も威力を発揮するかもしれません、おなじ当たり年の二十年もので手に入りにくいワインをレストランで注文すれば15万円ぐらいにはなりますから。

 私の持論ですが、ささやかな基礎的な知識があれば超高級ワインと高級なグラスはご家庭で楽しむべきものかとおもいます、レストランとはリーズナブルな値段でどれだけ美味しい料理やワインを日常とは違った驚きや楽しさとともに味わえるかというのが本来の存在意義であり、料理人もソムリエも全知全能を傾けてお客様の期待に応えるべく日々精進しているところなのです。

男女がペアが常識であるというお話